北京ぶらり歩き

春の北京を夫婦で歩きました。
珍道中の一端です。

平成17年3月20日〜24日

北海公園 九龍壁


行   程
3月20日 福岡〜大連〜北京 (北京へ)
21日 北京駅 天壇公園 王府井 散策
22日 胡同(フートン)街 北海公園 中華民族園 散策 雑伎団ショー鑑賞
23日 北京郊外 天安門 故宮 胡同(フートン)街 景山公園 散策
24日 北京〜大連〜福岡 (帰国)


1日目 20日(日)曇

自宅出発    9:25 
 福岡空港集合時刻は午後1時30分。時間的にも精神的にもゆとりを持ってゆっくりと国道3号線を走る。

鹿北道の駅で休息    10:40 

福岡西方沖地震発生    10:50ころ 
 買い物を済ませ外に出たとたん、ドーンという音とゴーという音の後、地面が振動し、道の駅の家屋の屋根が横にユサユサと揺れ動いている。座り込むほどではなかったがすごい揺れを感じる。
 間もなく、長男から携帯に電話がかかる。心配して自宅に電話するが通話中でかからなかったので携帯に電話したと言う。
 誰も居ないはずの自宅電話が通話中と聞いて不安になり自宅に電話してみると、通話中の信号音が返ってくる。地震で受話器が落ちたのではなかろうか、家の様子を見に行ってもらおうと長男に電話するが、通話中の信号音だけで連絡が取れない。

道の駅出発    11:00
 大きな地震だったというのでカーラジオの地震情報を聞きながら車を走らせる。
 大きな地震が福岡・佐賀を襲ったらしい。震度6強と言っている。広川インターから高速道路に入る予定であったが、高速道路の八幡・久留米インター間は地震による被害点検のため通行止めという。広川から久留米まででも高速で行こうかと迷ったが、高速の出入り口で渋滞にでも巻き込まれたらかえって遅れはしないかと国道を走ることにする。
 途中、何度も長男に電話するが通話中の信号音ばかり。自宅にかけても通話中の信号音。次男の携帯も通話中。携帯に登録している数人に電話してみるがやはり通話中。誰とも連絡が取れない。どこに電話しても通話中とはおかしいなと思いつつ道行く人を見ると、携帯で通話中の人もいる。
 妻が「この携帯はおかしいのではない?」と言う。私の携帯に不具合が生じたのだろうかと心配になったが、ラジオ放送によると地震のため電話がつながりにくくなっているとのこと。子ども達の携帯につながらないことが納得できた。
 国道3号線は渋滞が出始めた。何時頃空港に到着できるか不安になり、カーナビに福岡空港までの道案内を入力すると、空港着は13時30分と表示される。これで少しは安心する。久留米市内で渋滞に巻き込まれる。なかなか車が進まない。歩いた方が早いのではないかと思われるほどののろのろ進行。
 鳥栖インター付近は大渋滞。インター入り口付近で通行止め解除を待っている車が何台か待機している。

旅行会社とやっと連絡が取れる    13:25
 佐賀県基山町辺りで、旅行会社とやっと連絡が取れる。「高速道路通行止めのため国道を進行中だが、渋滞のため1時30分の集合時刻に間に合わない」と電話を入れる。遅れることを旅行会社に伝えることができ一安心。子どもたちとは相変わらず連絡がとれない。
 太宰府インター近くで、高速道路通行止め解除のラジオ放送がある。都市高速はなお点検中で通行止めが続いているという。都市高速下の国道3号線を走る。都市高速を見上げながら、阪神淡路大震災で、高速道路橋脚が倒壊し落下したことを思い出し、「地震の時ここを通行するのは怖いな」と妻と話す。
 車はなかなか進行しない。私がイライラしているのを見て妻は「旅行会社には遅れることを連絡済みだし、飛行機は午後3時30分離陸だから気持ちをゆったり持って運転して!」と言う。

空港近くの民間駐車場に到着    14:25

福岡空港国際線ロビーに到着    14:45
 旅行会社の手続きを済ませる。
 後学のために、飛行機離陸の時刻までに到着できない場合はどうなるかを係員に尋ねてみる。地震発生のための高速道路通行止めというアクシデントのためであり、自然災害で個人の責任に帰すことではないからキャンセル払い戻しとなるでしょうとのこと。
 荷物を預け、出国手続きを済ませ、出発ロビーで2時間半遅れの昼食をとる。

機内搭乗    15:10
 幸い窓側の席に座ることができる。機内は空席が目立つ。

搭乗予定者を待つ    15:35
 離陸時刻であるが、搭乗予定者が未着のためしばらく待つ旨の機内放送がある。
 機内放送は、中国語、英語に続き、日本語の放送があった。日本人のアナウンスで聞き取りやすい。日本人客室乗務員が2人搭乗しているという。20分ほど待ったが、結局新たな搭乗者はなかった。地震で到着できなかった人だろうか。聞けば、27名くらいが間に合わなかったと言っている。私達は地震で高速道路が通行できない場合もあると想定したわけではないが、早めに家を出たので間に合うことができた。これからも時間にゆとりを持って早めに出発することが大事だと実感する。

離陸    16:25   

 機内食の配膳が始まる。サンドイッチ、うま煮、フルーツの軽食がでる。トマトジュースをいただく。妻はビールを2杯もらう。無事に飛行機に乗れ安心しているのだろう。機嫌がよい。

大連に着陸    17:10頃(北京時間 これからは北京時間で記す 日本時間は18:10)
 大連は工業都市。石油タンクらしきものや工場らしきものが見える。
 飛行場周辺は、3〜5階建ての集合住宅がびっしり建ち並んでいる。

 手荷物を持って飛行機から降りる。
 通路で、空港係員が一人ひとりに「ベイチン?」と聞きながら北京行きの人には仮の搭乗カードを渡している。私たちもカードをもらい入国審査へ向かう。およそ50人くらいの人が入国審査を受けるために並んでいる。パスポート、入国カードを係官に見せ、入国手続きを済ませ搭乗ロビーへ行く。福岡空港離陸が遅れたせいか、ロビーに着くと同時に搭乗が始まる。大連までとは違って機内はほぼ満席。福岡〜大連までは国際線。大連〜北京は国内線の扱いとなる。

大連空港離陸    17:45   

 機内食の配膳が始まる。コッペパンにハムや野菜を挟んだサンドイッチ。ジャスミン茶をいただく。
 天気があまりよくなく、外の景色は見ることができない。

北京空港到着    19:00
 ターンテーブルで荷物を待つと、1番に荷物が出てきた。こんなことはこれまでで始めてのこと。
 出口で、私の名前を書いた紙を持った中国人案内人の仲(ちゅー)さんが迎えてくれた。結局今回の北京フリーパックは私と妻の2人だけだった。

ホンダ製の乗用車で京倫飯店へ向かう
 空港から北京市街地まで信号は一つもないと仲さんが言っていた。約30分でホテルに着く。以前は北京市内まで1時間はかかっていた。

ホテル着    19:55  
 フロントに日本語が話せる人がいて安心する。

 部屋は12階の1221号室。長安街に面している。室内は、西安の皇城賓館とよく似ている。
 子どもたちに電話するがやはり通話中の信号音が返ってくるばかりで連絡が取れない。
 テレビの4チャンネル(日本の衛星放送専用チャンネル)、NHK国際放送「新シルクロード」を見ながら簡単な食事をとる。日本から持参したカップ麺、昼食の残りですませる。

次男の携帯電話にやっとつながる    21:00
 風呂に入り、長旅の疲れをとる。
 9月、シルクロードのたびの時は、西安空港が霧のため飛行機到着が遅れやきもきし、青島泊まりだった。今回は地震による国道の交通渋滞で集合時刻に間に合わずやきもきする。巡り合わせのおかしさに思わず苦笑する。

就寝    22:30



2日目 21日(月)曇

起床    6:30    

朝食    7:30
 ホテルレストランで朝食をとる。日本料理、西洋料理、中華料理などが並ぶバイキング方式。日本料理を食べる。鉄火巻きもある。牛乳、野菜があり日本のホテルでの朝食と違いはない。果物にスイカがあるのには驚く。食べてみるがおいしくない。朝食代金は一人122元と示してある。

北京市街探訪に出かける    8:30
 ホテルで1万円を783.79元に両替する。1元が約13円。
 地下鉄で北京駅へ向かう。ホテル近くの永安里駅で北京駅までの切符を買う。一人3元。駅の切符販売係員はお金を受け取ると、無愛想で投げるようにして切符を渡す。表情や動作は無愛想だが、親切に乗換駅を教えてくれる。1号線で建国門まで行き、そこから2号線(環状線)に乗り換え一つ目の駅が北京駅だという。
 平成12(2000)年正月も地下鉄に乗ったが、そのときと比べて乗車人数も増え、乗客の服装も日本と全く変わらず日本の地下鉄に乗っていると錯覚を起こすほどであった。

 ※1号線(通称 一線)は、北京市街地を東西に貫く路線である。
 ※2号線(通称 環線)は、北京市中心部の環状線である。かつての城壁の地下に作られており、「門」の附く駅名が多い。
 ※1号線および2号線の運賃は3元で、復興門駅および建国門駅での両線間の乗り換えは自由にできる。
 
北京駅
 西安駅と違って、整然としている。駅前の雑踏もない。みやげ物売りや小旅行の勧誘もない。また、手あかでよごれた服を着ている人もほとんどいない。身ぎれいな服装の人が多い。
 平成12(2000)年正月の時は、ごった返していたように思うが静かだった。乗客の昇降は北京西駅が主流になっているとか。

北 京 駅


バスで天壇公園へ
 北京駅から「39路」バスで天壇公園へ行く。
 バスの運賃は、1元のバスと2元のバスがある。ほとんどが1元。春とはいえ、寒さが厳しいときもあるが、天窓を開けて走る。 椅子は鉄製でクッションは悪い。バスに乗ると、車掌さんが乗車券を買うように大声で呼びかけている。呼びかけられた人は定期券のようなもの、または購入した切符を見せている。私も買ったばかりの切符を見せる。車掌さんと目が合い「分かった」と言わんばかりの表情をする。降車時に買った乗車券を受け取るようなことはしない。
 車掌はバス停では、バスから降り大きな声で「○○まで行く。乗らないか」とバスを待っている人たちに声をかける。乗車する人がいないことを確かめてバスに乗り発車する。
 バスに乗ると、若い男性が座席を譲ってくれた。中国は西安でも、ホータンでも、カシュガル、ウルムチでも若者が座席を譲ってくれた。日本とは大違いだ。

天壇公園


 北京には大きな「壇」が4カ所在る。その内の一つがこの天壇である。他に地壇、日壇、月壇と在るが、小さいものになるといくつ在るのかは分からないそうだ。
 「壇」とは祭祀を行う場所で、祭祀者は必ず皇帝かその代理人がつとめた。明清時代に皇帝が天に五穀豊穣を祈ったところ。天壇公園の広さは273haで、故宮博物館(紫禁城)の3倍以上ある。
 1420年に建築され、正月と夏至、冬至の年3回祭祀が行われたそうだ。

祈年殿
 皇帝が毎年、正月にここへ足を運び、豊作を祈った。祈年殿は3層の大理石の壇上に建つ円形の木造建築物である。高さ38m、直径30m。

祈年殿内部
  四季を象徴する4本の柱と、12ヶ月を象徴する赤い12本の柱がある。
  梁・棟木は使用されていないそうだ。

祈年殿内部


 草木への散水が直径5cmほどのホースで行われている。
 芝生にはスプリンクラーが作動している。また、古木の節などに足の腹をこすりつけている人がいる。おそらくたくさんの人がそうしているのだろう。つやがでて光輝いている。

大   樹


圜丘(えんきゅう)
 石造りの3層の壇で、建物はない。ここは皇帝が神に直接祈る場所。
 明清代には毎年冬至の日に、斎宮で身を清めた皇帝がこの圜丘でその年に起きた重要なできごとを天帝に報告した。最上段の中心点の上で小声でしゃべると、その人には自分の声が反響してはっきり聞こえるといわれている。私も試みてみたが何も聞こえなかった。
 
 公園入園料は、10元。天壇祈年館等の入館料20元。

 北京市民は証明書でフリーパスのようだ。公園はとても広く、北京市民の憩いの場になっている。
 広場では、社交ダンスに興じているグループがいくつもある。また、コーラスの練習をしているグループもある。テニスとバトミントンをミックスしたような道具を使い、太極拳のような動きをしている二人連れもいる。夫婦らしきカップル、恋人同士など。

 長廊では、たくさんの人がグループを作り思い思いにトランプに興じたり、将棋(?)に興じている。また、二胡に似た楽器を弾きながら歌っている人もいる。

コンクリートで造った石畳を利用して毛筆の練習をしている人がいる。

 筆の穂先はスポンジのようなものでできており、筆の筒に水を蓄えておくのだろう。見事な文字を書いている。写真を1枚撮らせてもらう。

 一人で黙想にふけっている人もいる。
 林の木々の間をカササギのような鳥が飛び交っている。芝生にはリスもいる。
 公園の一角の日当たりのよいところで休息していると、夫婦連れがテニスとバトミントンをミックスしたような運動を私たちの前で始める。動きの柔らかさに感心していると、夫婦連れも私たちを意識してか、ちらりちらり私たちを見ながら、さらに高度な技に挑戦・披露している。身体が柔らかくないとできないような動きだ。健康維持には適した運動だろう。
 のどかな憩いの場である。

 帰りに正面入り口で学生風の若者数人が学生証らしきものを提示してフリーパスで入園できないかを交渉している。売り場の人は「できない。」と言わんばかりに首を横に振るばかり。驚いたことに若者たちはわざわざ正門まで来ているのに、入園料を払わねばならないと言われそのまま帰ってしまった。わずか10元の入園料なのに。
 公園の前に市場があり、のぞいてみる。以前は青空市場だったものがビルの中に全部入居している。中国のおみやげ、衣類、食料品などあらゆるものが売ってあり、外国人の買い物客が多かった。

圜丘(えんきゅう) 長   廊 文字の練習
長   塀 白 樺 林


バスで王府井(ワンフチン)へ
 「43路」バスで、天壇公園から王府井へ向かう。乗車賃1元。また席を譲ってもらう。白髪頭で中国人にも年寄りと見られるのだなと苦笑する。
 しかし、広い天壇公園内を歩き疲れていたので助かった。


王府井
王府井は「北京の銀座」、「北京のシャンゼリゼ通り」などとも呼ばれる最大の繁華街だ。
 今は、昔の王府井の面影は全くない。近代ビルに変わってしまっている。
 平日でも歩行者天国だという。人のよく通る歩道は、路面からベンチに至るまで統一された赤茶色で塗装され、各店舗や商場も装い新たに生まれ変わっている。人通りの多い中、4〜5人の作業員が手作業で路面の補修工事をしている箇所があった。日本では人通りの少ない夜間に工事をしたり、立ち入り禁止の看板を掲げて工事を行うが、ここ北京では日常的なごく当たり前のことのように工事している。
 また、たくさんの観光客が集まるため、大手商店の服務員の多くは英語を話し、中には日本語で話しかけてくる店員もいるそうだ。ここは北京で最も国際色豊かな街かもしれない。
 王府井通りを案内する観覧車が走っていた。妻は乗りたがったが「歩いて見物すればよいだろう」と乗らなかった。(妻は日本に帰ってからまで「乗れば良かった」と愚痴をこぼしている。)

王府井入り口 王府井通り 王府井露店食堂

 
昼食
 王府井内の露天レストランで昼食をとる。
 麺類どんぶり、餃子、シシカバブー。
 どんぶりの麺ははるさめ風で日本の麺とは違う。味は今ひとつ。
 餃子はおいしい。シシカバブーは唐辛子がきいていた。
          
中国雑伎団のチケット購入
 王府井からバスで朝陽劇場へ
 前日、空港から北京への車中で現地案内人の仲さんから「ここが雑伎団ショーを見せる劇場です。」と教えてもらっていたので地図を頼りに朝陽劇場を探す。工人体育館近くでバスから降り、地図を見ながら、道行く人に尋ねながらやっと大きな劇場にたどり着く。ちょうど、小学生の一団が劇場に入っていくところだった。
 22日の夜の部を予約する。1人、200元。明日の夜の雑伎ショーが楽しみ。
 帰りのバスの停留所を探す。途中、「三四郎」という日本食レストランが目にはいる。中国では交通規則があまり守られていなく道路横断に一苦労していたが、大きな道路の交差点には交通指導員のような人がいて信号を守るように指導している。交通規則遵守はおそらく北京オリンピックまでの課題の一つであると思われる。車も人もかなり信号を守っているので安心して横断できるところが多かった。大きな道路には横断用の地下道が整備されている。

ホテルへ
 「43路」バスに、白家荘バス停から永安里バス停まで乗車。若い男性の車掌さんだったが低音でぼそぼそと乗車券を買うように言っている。また、次の停留所名を「ウー、ウー、ウー」と案内しているが何と言っているのか全く分からずカエルが鳴いているように聞こえおかしくなる。偏見だが男性よりも女性の車掌さんの方が気合いが入っているようだ。

ホテルレストランで夕食をとる。
 ホテルレストランで夕食をとる。
 バイキング方式で、洋食、和食、中華料理がある。
 「飲み物にはビールがありますよ。要りませんか」とウエイトレスから教えてもらう。和食と洋食を食べる。おいしい。
 1人98元。

9:30   就寝



3日目 22日
起床    6:30   
朝食    7:30     
 数人のウエイトレスと顔なじみになる。笑顔で「ティー? カフィー?」と聞いてくる。このくらいの英語は分かるので「ティー」と応え、紅茶をもらう。妻が外国人は「ティー プリーズ」と言っているよ。あなたもそう言ったらどうかと教えてくれる。


散策に出発。今日は北京晴れのよい天気。
 ホテルで両替をする。1万円が782元と1角4毛。昨日は783、79元だったから1日で円が1、65元安くなっている。
 中国では市内の路線バス乗車賃が1元だからバス1回乗車分安くなっていることになる。中国人民元の対アメリカドルレートは中国の為替介入により「1ドル=8、28元」でほぼ固定されているが、円の相場が為替レートに直ぐに影響することを実感する。

ホテル前バス停「大北窯」から「1路」バスで天安門へ。
 料金は1人2元。運転手と車掌は赤いジャンパーを羽織っている。シートも布付きプラスティック椅子でクッションがやや良く温かさを感じる。冷暖房車という。この車掌さんは気合いが入っていた。乗っている間中、大きな声で乗車券を買うように言っていた。

故宮の西側を歩いて北海公園へ
 道の両側は昔の家並みの胡同(フートン)街。
 天安門バス停で降り、中国人向けのおみやげ屋兼公衆厠でトイレを済ませ故宮前を歩いていると1元札が落ちているのが目につく。行き交う人はこのことに気づいているのかいないのか誰も拾おうとしない。
 妻が一人の初老の男性に「1元落ちていますよ。」と指さすと、その人は「ブーシー(不是)(自分のではない)」と言ってかかわりたくないように立ち去る。1元拾って公安に届ける煩わしさより知らぬ振りの方が良いのだろう。

おみやげ屋兼公衆厠


故宮の西側を歩いて北海公園へ向かう。道の両側は昔の家並み。
 家並みがきれいに整備され、道路にはちり一つ落ちていない。中国を感じる。故宮の周辺で歴史建造物保存区なのだろう。瓦屋根や煉瓦壁が続き、しっとりとしていて落ち着きのある場所である。

胡同(フートン)街

 
北海公園   入園料 1人 15元
 故宮の西北、景山公園の西隣に位置するかっての御苑。
 面積は68ha、その半分以上は池。
 ボートが浮かんでいる。また、遊覧船もあり、北京市民の憩いの場である。
 天壇公園同様、いたる所でグループごとにコーラスの練習をしたり、太極拳の練習をしたり、楽器演奏、日向ぼっこをしている光景を見る。

北海公園 北海公園池

白塔
 高さ35.9mのチベット式仏塔で北海公園のシンボルである。清代仏教の信仰篤かった順治帝が建立した塔である。塔の前の永安寺はラマ教(チベット教)寺院である。
 白塔の入塔料が1人10元とある。10元払って入塔する。塔の下で休憩しながら北海公園の入園料の切符を見ると、白塔の入塔料も含んでいる。妻が入園料の切符を見せながら「一括して購入している。」というと、持っていた白塔の半券を調べ、10元は返してくれた。
 木に花のつぼみがふくらんでいるので「何の花?」と聞くと「桃花」と係員が教えてくれる。1週間もすればピンクの花を咲かせ、さぞきれいなことだろうと想像する。

九龍壁
 瑠璃磚製の照壁。高さ5m、厚さ1.2m、幅27m。清代乾隆21(1756)年製で、5色の瑠璃磚で造形された9匹の龍のレリーフがみごとである。

九 龍 壁

                  
鼓楼
 入園料 1人20元
 西安の鼓楼と違い、質素な感じがする。階段を使って上まで登ることにする。急な階段にはびっくり。一緒に入館した西洋人も階段を見上げびっくりしている様子。手すりをつかみやっと登り切る。

 昔の家並み、胡同(フートン)が眼下に広がる。この近くは保存区なのだろう。王府井近くは近代的ビルが建ち並んでいるがこの付近は中国の雰囲気が残っており、中国人の生活をかいま見ることができる。北側には鐘楼が見える。南側は故宮、遠くには高層ビルが林立している。

鐘   楼 眼下に広がる胡同(フートン) 胡同(フートン)街


輪タク
 胡同を散策していると、赤い幌をかけた輪タクが観光客を乗せて列をなして走っている。停車中の輪タクから「乗らないか」と何度も声をかけられる。その度に、妻が「このあたりは何度も来て、よく知っている。」と応答すると引っ込む。じつにあっさりしたもの。西安のあのしつこさはない。

昼食
 またまた悩ましい昼食選び。
 鼓楼近くのイスラム料理のレストランに客がいっぱいいて、何となく注文しやすい雰囲気であったのでそこに入る。メニューを見ても何が出るのかが分からないので、隣の席で若い女性が食べていた料理、どんぶりに入ってうどんのような麺料理を指さして、「これと同じもの」と注文する。それにチャ−ハンを注文。
 どんぶりものと一緒にニンニクを酢漬けたものがでる。ニンニクはおいしい。チャーハンもなかなかおいしい。どんぶりものの麺は小麦粉ではなく、はるさめのような麺であった。白いものは豆腐かと思ったがチーズのようでもあった。食べるにつれてそのチーズのようなものは膨らみ、量はなかなか減らない。
 「白いものは何か?」と尋ねると、「モー!」と言っている。辞書で調べるとどうも「きのこ」のようだ。店員の中には英語も話せる人がいて、時々英語で話しかけてくる。あまり意味が分からなかった。
 34、6元だった。

中華民族園    入園料 1人60元
 タクシーで中華民族園へ。
 タクシーは乱暴な運転で乗っていてヒヤヒヤする。タクシーにはあまり乗りたくない。路線バスの方が安くて安心して乗れる。

中華民族村正面 ドゥー族の建築物 中華民族村出口
少数民族娘さん達と

 中国は56の民族を抱える多民族国家だそうだ。その9割以上が漢民族で、残り55の民族は、辺境や山岳地帯などで独自の生活や文化を持って暮らしている。この施設では、北園と南園に分けて各民族の暮らしを紹介するほか、各民族の民俗芸能も合わせて紹介している。
 北園はチベット族、ミャオ族、タイ族、朝鮮族、台湾高山族など16の民族村がある。
 羌族(チャン族)の建物でショールを買う。このショールは柄が良く羊毛でつくってある。良い品だからこれまでは150元で売っていたが、これは冬物。これから暑くなるので70元でよいと言う。「40元なら買う」と言うと、「それはできない」と言う。妻が「それはあんまりよ。50元だったら買おう。」と言うので「50元でどうか」と言うと「OK」と言う。50元で買ったショールを妻は気に入った様子。
 朝鮮族の建物を見ていると、軽快な音楽が聞こえてくる。どこかの民族舞踊が始まったのだろうと曲の聞こえる方に急ぐ。白い建物、曼飛竜塔の前でダイ族の若者男女数名が音楽に合わせて軽快に踊っている。踊りが終わって一緒に写真を撮る。

 南園には雲南白族、ナシ族、寧夏回族、新疆ウイグル族など24の民族村と大理三塔、盤龍瀑布など八大景観が実物大で作られているという。南園は入場できなかった。
 入園者は私と妻の他は、西洋人のグループと朝鮮族の建物を見に来ていた韓国人グル−プだけで閑散としていた。しかし、オリンピック会場近くなので、2007年北京オリンピックの時はにぎわうことだろう。
 北京駅までの送迎を頼んでいる仲さんは「まだ入園していない」と言っていた。
   
民族村からバスで 安定門へ
 バスの車窓から競技場が見える。北京オリンピックのメイン会場となるところらしい。
 終点のバス車庫で、交通整理係員に「天安門まではどのバスに乗ればい良いか」と尋ねると小馬鹿にしたような感じで「天安門? あっち!」と言わんばかりにあごをしゃくって応える。なんと失礼なと思うが言葉が通じず我慢する。
 バス停を探していると、すぐ近くに地下鉄「安定門」の駅がある。地下鉄で帰ることにする。

安定門から永安里まで地下鉄 そしてホテルへ
 地下鉄環状線で安定門から建国門まで行き、建国門前で1号地下鉄に乗り換え永安里駅まで乗り、ホテルに帰る。

中国雑伎団ショー鑑賞に朝陽劇場へ
 午後7時開演予定であったので早めに着くようにと、5時にホテルを出る。
 朝陽劇場近くの団結胡公園行きのバス停を探す。ホテル前バス停、大北窯で団結胡公園行きのバス路線を探すが見あたらない。永安里バス停でも見あたらない。時間は刻々と過ぎる。
 帰りを急ぐサラリーマン風の若い男性に「団結胡公園行きのバス停はどこですか?」と聞くと、早口で妻に説明しているが妻は聞き取れないでいる。
 若い男性は「自分がそこまで連れて行きましょう。」と言い、地下道を渡って道案内をしてくれる。途中で、「実は雑伎団のショーを見に朝陽劇場まで行くのです。」と言うと、「それならこちらが良い」と引き返し、バス停を親切に教えてくれる。とてもうれしかった。
 結果的にはバス停は見つからずタクシーで行く。北京市内の路線バスの停留所は複雑で、同じ「永安里」バス停でも行き先によって少し離れたところにある。昨日、下見までしていたのに全く役に立たなかった。
 6時40分頃劇場に到着。
 劇場は500から700席はあるだろうと思う広さである。2階席もあった。私たちの席は前から5列目の中央で鑑賞には一番良いところ。周りは西洋人ばかり。若い人、壮年の人、家族連れと満員である。これだけの西洋人を集めることができる中国人とはすごいと思う。日本では、歌舞伎か宝塚の踊りに当たるのだろうか。

 開演前にアイスクリームを1個10元で売りに来たので買う。おいしい。

 雑伎団のショーはどれもすばらしいものばかり。鍛え抜かれた若い人が次から次へとアクロバット演技を披露する。獅子の玉乗り、自転車乗りなどあっと驚くような演技ばかり。

雑伎団のショー


ホテルへ
 終了後、タクシーで帰ろうとするがタクシーの乗車拒否にあう。3台止めたが、距離が短いからだろうか、タクシーを止めた場所がホテルと反対方向であったからであろうか、いずれも「京倫飯店は知らない」という。やむなく、バス停を探してバスで帰る。ホテルには8時50分過ぎに着く。

夕食
 ホテルレストランで夕食をとる。
 レストランは9時30分までとあるので、大急ぎで食事をする。メニューは朝食とあまり変わりない。ウエイトレスが「ビールがあります。飲みますか。」と持ってくる。ビール代は食事代に入っている。ビールもジュースなどの飲み物と同じ扱いらしい。
 
11時 就寝



4日目 23日 
 「1路」バスで北京市街散策

 大北窯バス停から乗車
 建国門外大街〜建国門内大街〜東長安街〜西長安街〜復興門内大街〜復興門外大街〜復興路を通って終点馬管営まで行く。
 北京市内を東から西までまっすぐ乗車した。約1時間ほどかかった。
 途中には、東単、王府井、北京飯店、北京市人民政府、国立博物館、天安門広場、天安門、故宮、人民大会堂、南海、西単、中国人民革命軍博物館、中央電視台等が見える。

 終点馬管営は、北京市郊外のようだ。大きな建物はあまりない。集合住宅がいくつかある。風が強く、砂塵がまいあがり目に入る。「北京的春天。是刮風」とはこのことだと思う。

馬管営バス停

 大通りまで出ると、車がひっきりなしに行き来している。尿意をもよおしたので道行く人に「公衆厠はどこか?」と聞くがなかなか分からない。一人の女性が大通りの北の方を指さして「あちらにある」と言うので行ってみるがそれらしきものはない。
 私は道端で用をたそうかと思うが妻はそうはいかない。あちこち探してもどこにも厠は見あたらない。

 道路脇に「○○公司」と書いてある立派なビルがある。「仕方がない。あそこの会社でトイレを貸してもらおう」とビルに向かうと、玄関には高級車が止まり人が出入りしている。内心、「こんな所に入って大丈夫かな。とがめられはしないかな。」とびくびくしながら中に入るとそこは病院だった。
 広い待合室、高い天井、まるで高級ホテルのロビーのようだ。問診を受けている人がいる。病院に来た患者のふりをしてトイレを使わせてもらう。トイレはとてもきれい。外観から病院とは思えなかった。
 平成3年、初めて中国旅行をしたとき、八達嶺の万里の長城見学の帰りにツアー客の一人が体調をくずし近くの病院へ行った。そのとき、私たちも中国の病院とはどんなところだろうと近くまで行って病院の中を覗こうとしたが外国人は入ってはダメだと中に入ることを止められたことがあった。当時、そこは病院とはとても思えないような粗末なところだった。もちろん個人病院ではあったがあのときの病院とは雲泥の差にびっくり。
 トイレで用を済ませると、又バスで引き返した。ほぼ満員の乗客だった。1時間乗っても乗車賃はやはり1元だった。

天安門

 中華人民共和国の象徴、北京の象徴である。
 1414年に建設され、「承天門」と名付けられた。「承天啓運、受命于天」と言う言葉から引用された。初期の物は木造三階建てであったが、明代に2度焼失している。
 1651年に再建された時、「天安門」と改名された。その後幾たびかの修繕作業を経て、今日の形になっている。
 この場所は、中国の歴史を代表する場所でもあり、1949年10月1日に毛沢東主席がこの天安門で建国宣言をし、中華人民共和国が正式に建国された。この日を国慶節といい、中華人民共和国の建国記念日である。また、この天安門から見て右側に中国の国会議事堂に当たる人民大会堂、左側に歴史博物館がある。正面は天安門広場が広がる。
 天安門広場は、880m×500m=44万uで、現在世界最大の広場である。
 広場には、南から「大明門」、「毛澤東記念堂」、「英雄記念碑」、「国旗掲揚台」と並んでいる。
 平成12年(2000年)正月、ここ天安門に上り、天安門広場を見渡した。当時は、中国人と外国人は入場料が違っていた。

人民大会堂


紫禁城(故宮)

午   門

 紫禁城はかつて明、清王朝の中心部として、政治を行うと共に、住まいであった。
 現在は故宮博物館として一般公開されている。全部を見学するには三日かかるといわれている。

規模 
 東西750m、南北960m。
高さ十数mの城壁に囲まれ、その外側には幅52mの護城河(濛)がめぐらされている。
 面積は72万u。そのなかに柱間にして9,000余の建物が存在する。その多くは木造建築で紅い壁、黄釉瓦をいただき青白石の基壇の上にたち、中国で現存する最大かつ最も完整した古建築群。周囲の城壁には四つの門があり、南正面には午門、北には神武門、東に東華門、西に西華門が位置する。午門は紫禁城の正門である。
 午門と神武門を結ぶ線が紫禁城の中心軸であり、宮殿建築はこの線を中心として左右対照に分布し、主要な建築はこの線上に位置する。

                                   太  和  殿

太和門 太和殿 太和殿内部

中和殿

中和殿 中和伝の宝座

保和殿

保和殿


 東西64メートル、南北37メートル、高さ37メートル。中国における現存最大の木造建築物。

 故宮博物館の改修工事は2002年10月にスタートし、2020年に完了する見通し。およそ20億元の資金が投入されるとみられている。なお、一期工事は、北京五輪が開催される08年までに完了する見込み。仲さんによると、ほぼ100年に1度改修工事が行われるそうだ。

午    門
神 武 門
屋根の葺き替え 通路・壁・屋根の工事


 この日は風が強く、沙埃が舞い上がる。陽が差すと暖かいが強い風のためとても寒い。上着を取りにホテルへ帰る。仲さんが言っていたが、この強い風で大気中の砂塵を吹き飛ばし明日は晴天となることだろう。

ホテル自室で昼食
 日本からの持ち込みインスタントカップ麺、インスタントわかめご飯。結構おいしい。

北京国立博物館
 再びバスで天安門広場へ行く。
 西夏文明展を鑑賞
 博物館に入るには持ち物はすべて、荷物預かり所に預けねばならない。コインロッカーに荷物を預け文明展を鑑賞。
 チベット族の文化遺産を多数展示してあった。西夏王国は謎の多い国とされていたが中国ではずいぶん研究されていると思われる。そのうち、日本でも西夏文明展の展示会があることだろう。

胡同(フートン)めぐり

 胡同(フートン)はモンゴル語に由来する言葉らしい。モンゴル語で集落の意味だという。元の時代も首都は北京であった(ただし、当時は大都と呼ばれていた)。ここは、一般人も住んでいるが、かなり、観光地化している。

 故宮の東の胡同を散策していると、学校帰りか、男の子がリュックを背負い、2台の自転車を危なっかしい手つきで押して帰っている。
 「もう1台を押してあげようか?私たちも同じ方向に行くから。」と声をかけるとにっこりして「ウン」と首を縦に振る。
 少年と一緒に自転車を押しながら周りの景色を楽しむ。
 少年は「先を急ぐのでしょう?」と申し訳なさそうに問いかけてくる。妻が「急ぐ用はないから家の近くまで押してあげるよ。」と言うとうれしそうな表情をしている。30分近く少年と一緒に歩く。
 12歳と言うので「リュー ニエン ション(6年生?)」と聞くと「トイ(對)(そうです)」と言う。少年の家の近くで分かれる。とても喜んで帰って行った。

自転車に乗って 故宮近くのフートン


景山公園
 旧北京城の南北中軸線の中心点に地点で、景山は高さ43mの丘で、頂上に建てられた万春亭からの眺めは故宮全体を見下ろし、北京市内を一望できる。明清代の北京城内で最高点であった。
                

故宮から景山公園を望む
眼下に見下ろす故宮

 故宮の黄金の瓦が西日に照らされて燦然と輝いて見える。壮大な眺めである。


天安門前の地下道をくぐる。
 地下道では男の物乞いが寝そべっている。西安でも物乞いをしている人を見かけた。西安の物乞いの人は明るく物乞いを楽しんでいるように思えたのだが、ここ北京では身なりが貧しく悲壮感がにじみ出ているように思えた。
 また、男性の若者がギターを弾きながら大声で歌っている。前にはギターケースを開けて置いてある。いくらかのお金が入っている。夜遅く日本で見る光景だ。中国もここまできたかと驚く。若者の服装や行動は日本も中国も変わりないようだ。
 天安門広場を南へ下る。
 天安門広場は、国旗掲揚台、英雄記念館、毛沢東記念館、大明門が続く。時折突風が吹き吹き、飛ばされそうになる。行き交う人も風の強さに驚いている。

天安門広場 国立博物館前の北京オリンピックまでの表示

 平成3年夏、初めて北京を訪れたとき、毛沢東記念館入場者が幾重にも列をなして順番を待っている中、私たち日本人ツアー客は横から割り込んで入場したことを思い出す。
 前門街は、北京の浅草といわれる旧外城の繁華街だそうだ。夕食を食べる適当なレストランはあるだろうかと行ってみる。ケンタッキーフライドチキンやマクドナルドなどのファストフード店がたくさんある。夕食に適当なレストランを見つけることができない。

北京の浅草といわれる旧外城の繁華街 前門へ

前門街

  夕食のレストランは見つけることができなかったが、辺りをキョロキョロしていると大人と子どもの二人連れの物乞いが目の前に現れた。互いに腰につけたロープでつながり歩いている。子どもは手に椀のようなものを持ち、物乞いをしながら前を歩いている。母親らしき人は黒っぽい粗末な服を着ている。目が不自由な様子で子どもにロープで引かれ二胡のような楽器を弾きながら後をついて歩いている。まともに見ることができないくらいの光景だった。この繁栄した中国のしかも首都北京の前門でこのような光景を見るとは思いもかけなかった。裕福な人とそうでない人との貧富の差があるのだろう。
 夕食は北京飯店で食べることにする。


北京飯店レストランで夕食
 王府井まで地下鉄で行く。地上に上がり北京飯店はどこかと探していると、若い女の人が「○○商店はどこですか?」と尋ねてくる。何で私たちに道を聞くのかと思いつつも「ブジータオ(不知道)(知らない)」と妻が応える。中国で中国人から道を尋ねられたことは初めてであった。
 6時過ぎだったのでレストランには客はあまりいない。バイキング形式。一通り見て回ると料理は豊富。
 北京ダックがある。2人分もらう。目の前でアヒルの肉をそいでくれる。とてもおいしい。
 中華料理、西洋料理とりまぜて2時間ほどゆっくりと食べる。
 2人で475元。
 これまでの食事では一番高くついた。
 しかし、ここ北京飯店に泊まりたかったので一安心する。

     バスでホテルへ

     10時 就寝

               


5日目 24日
5:00   起床
5:30   朝食
 ホテルレストランは、5時から開いている。メニューは毎日全く同じもの。時間が余りなく、急いで朝食を済ませる。

6:40 
 ホテルロビーに降りると、仲さんがすでにロビーで待っている。

チェックアウトを済ませ、空港へ。
 車は中国製の高級車。いかにも頑丈そうなつくり。どのくらいするのかを聞いてみると、日本円で200万円くらいと言う。日本ではとても200万円では買えないだろう。300万はするのではないだろうか。ということは中国元と日本円では日本円の方が貨幣価値が低いということか。

7:10  北京空港到着
 仲さんから荷物の安全チェックの場所、搭乗手続き等を教えてもらい自分たちで搭乗手続きをする。
 西安空港での荷物の安全チェックで、鉄製品や液体は厳重検査があることが分かっていたので今回はそのようなものは荷物として持っていなかったのでスムーズにパスできた。
 搭乗手続きは、国際線の搭乗手続きの列に並んで順番を待つ。蛇のように幾重にも曲がって順番待ちを20分ほどして、やっと順番が回ってくると、係員から「大連行きはあちら」と搭乗手続き場所が違うことを教えてもらう。順番待ちをしている間に出国カードに必要事項を記入しているのを見て妻は「おかしい。ここでは出国手続きはしないのに」と言っていたのだが国際線と国内線の違いまでは分からなかった。大連行きは国内線である。大連から福岡に行くとき、国際線になるのだ。
 国内線の方は順番待ちで並んでいる人はいなくて、すぐに搭乗手続きができた。日本人、特に福岡に帰る人はよく間違うらしい。そのようなことがガイドブックに書いてあった。
 出発ロビーで搭乗時刻まで待つ。
 ロビー内の土産物店を見て回る。目新しいものはない。子どもたちへの土産にチョコレートを買う。
 1番搭乗口には「平壌行き 7:00」と記され、その次に「大連経由福岡」の案内が出ていた。どこに平壌行きの飛行機が駐機しているかと探していると、一番搭乗口タラップ横に駐機している。時折テレビで見る北朝鮮の飛行機だ。割と小型であった。
 平壌行きが発って大連行きの改札が始まった。

9:40  離陸 機内は満席に近い状態。中国人が大きな声で互いに話をしている。
 離陸して間もなく機内サービスが始まる。紅茶をもらう。

10:50 大連着
 飛行場隣は真新しい集合住宅街のようだ。同じ建物が並んでいる。
 手荷物を持って一端飛行機から降りる。到着ロビーに行く通路で、国内線利用の人と福岡までの人が分かれる。通路で係員が「福岡?」と聞きながら福岡まで搭乗する人には搭乗カードを渡す。カードをもらって出国手続きへ。パスポート、出国票を提示する。入念にチェックしている。何の注意もなく国際線待合所へ行く。

11:15  離陸
 座席は北京からと同じ場所だが、北京からの乗客とはかなり違っている。斜め前の座席にかって一緒に仕事をしたMさんそっくりの若い女性が搭乗していた。これにはびっくり。
 離陸してしばらくすると、機体の揺れが大きい。機内放送はあっているが何を言っているのか分からない。おそらく気流の悪いところを飛行中で機体が少し揺れるが飛行には心配ないとでも言っているのだろう。ほどなく機内食のサービスが始まる。昼食にちょうど良い量のご飯とサンドイッチの詰め合わせ。おいしくいただく。
 朝鮮半島上空を過ぎ、対馬にかかる頃から再び揺れがひどくなる。気分を悪くした人もいるようだ。
 福岡に近づき、玄界島が見えてきた。屋根が青いビニルシートで覆われた家がいくつも見える。先日の地震で屋根が傷み、雨よけのものだろう。ほとんどの家がビニルシートで覆われていた。

14:20(日本時間) 福岡空港着
 税関で入国手続きを済ませ、一路自宅へ。高速道路は地震の影響はなかったようで都市高速、九州自動車道を走る。

17:00  5日ぶりに我が家に帰る。
 今回も妻のおかげで楽しい中国旅行ができた。妻に感謝する。
 北京飯店に泊まることは叶わなかったが、楽しみは又の機会に残しておくこととする。