アメリカ合衆国の歴史概観 


時 代 主 な 出 来 事
植民地以前時代 およそ
3万年前〜 1万年前

 北アメリカ大陸に最初に住んだ人々はアジア系のモンゴロイドといわれている。
 彼らインディアンは氷河期であったにかけて、凍結したベーリング海などを渡ってシベリアからアラスカを経由して広大な南北アメリカ大陸各地に分散していった。

8世紀〜16世紀頃
 ミシシッピ文化が、マウンド群と呼ばれる墳墓遺跡によってインディアン文明の存在が確認されている。イリノイ州のカホキア大遺跡は、最盛期で1万人に達したといわれている。1982年に「カホキア・マウンド州立史跡」は世界遺産に登録された。
 グランドキャニオンにも先住民が定住していた。

10世紀末
 ノルマン人の航海士レイフ・エリクソンが北米へ達しアメリカ大陸を発見したとサガに記されている。
 現在のカナダのバフィン島に到達し、ニューイングランドからニューヨーク州一帯を新天地として「ヴィンランド」と名付け定住を試みたが、先住民との抗争でグリーンランドへと戻ったとされている。

 カナダのニューファンドランド島で定住地跡が発見され世界遺産に登録されているが、アメリカ大陸発見者とはされていない。
 
植民地時代 1493年〜
  1776年

1492年
 イタリア人クリストファー・コロンブスが西インド諸島に到達。
 イギリス人ジョン・カボットが北米大陸の東海岸を探検し、イギリスがニューイングランド植民地とする。 フランス人ジャック・カルティエがセントローレンス川を遡り、カナダ植民地とする。
 ヴァージニアやカロライナはイギリス人、ルイジアナはフランス人、ニューヨークやニュージャージーはオランダ人、デラウェアはスウェーデン人、フロリダはスペイン人が植民地とする。

17世紀〜18世紀
 西欧人による南北アメリカ大陸の探検と開拓、インディアンに対する領土略奪と虐殺が始まる。
 西欧人は植民地で砂糖、コーヒー、綿花、タバコなどの農作物を作り、インディアンを奴隷化する。
 またアフリカ大陸の黒人を買い取り、奴隷化し、火器や、木綿をアフリカ諸国に売るという奴隷貿易が始まる。
 イギリスはフランス、スペインと戦い、イギリスは北米大陸の大西洋沿岸をほぼ全て手中に収め、大英帝国の礎を築き上げる。

1776年7月4日
 イギリスが植民地住民に対して重税を課したことからアメリカ大陸13州の住民代表者はフィラデルフィアで会議を開き、ジョージ・ワシントンを総司令官として植民地の自治権を求めてアメリカ独立戦争を起こす。

 トーマス・ジェファーソンが起草したアメリカ独立宣言を発表。

 1778年
 デラウェア族と「インディアン条約」を結び、インディアンから領土を購入し、彼らを保留地へ追いやる政策を推し進めていく。

 独立戦争はフランス、スペインの軍事的支援を受けたアメリカ軍の優勢で進む。

独立戦争と
 国家建設
1776年〜
  1789年

1783年
 イギリスはアメリカとパリ条約を結び、これによって大陸13州は独立。

1787年
 フィラデルフィアでの憲法制定会議で主権在民の共和制、三権(立法・司法・行政)分立、連邦制を基本とするアメリカ合衆国憲法が制定され、アメリカ合衆国(当時の首都はニューヨーク)が誕生。

1789年 
初代アメリカ合衆国大統領にジョージ・ワシントンが就任。

西方への
 領土拡大
1789年〜
  1865年

1801年
 新首都を初代大統領ジョージ・ワシントンにちなんでワシントン市と命名。

1823年

 モンロー主義は「アメリカ大陸はアメリカ合衆国のものである」という宣言で、1890年代までアメリカ合衆国内の先住民の掃討が行われた。

1829年
 大統領に就任したアンドリュー・ジャクソンは選挙権を拡大し、民主政治を発達させるとともに「インディアンは白人と共存し得ない。野蛮人で劣等民族のインディアンはすべて滅ぼされるべきである」と議会で演説し、「インディアン移住法」を可決。

 これは、ミシシッピ川以東の大多数のインディアンを連邦政府が保留した土地に強制的に移住させ、白人社会に同化させ、これに従わない部族は絶滅させる政策であった。

1840年ごろ
 人々は太平洋沿岸の新天地オレゴンを目指すようになる。
 移民たちはインディアンなどに襲われないよう、幌馬車で隊列を組んで移動した。

1846年
 オレゴンを併合して領土は太平洋に到達。
 
1858年
 メキシコ北部を買収。編入された領土ではメキシコ時代に廃止された奴隷制が復活。

1848年
 カリフォルニアで金鉱脈が発見されると、多くの白人が移住。
 いわゆるゴールド・ラッシュである。
 インディアンを虐殺し、流れ者と戦いながら開拓していく移住者に共通する開拓者精神、フロンティア・スピリットは、アメリカ人としてのアイデンティティとなって現在まで受け継がれている。
 広大な西部は人々をひきつけ、人口は急増。
 その裏でインディアンの権利は剥奪され、彼らの領土は矮小化していった。


1800年代
 外政ではに清や朝鮮に接近。


1853年
 日本に上陸し、翌年に徳川幕府を開国させる。

南北対立
 西部へ領土を拡大する段階で、北部は工業化、南部は綿花生産を主産業とする農業化していく。
 北部工業地帯は保護貿易、南部農業地帯は自由貿易と南北の対立が深まる。
 また、北部では黒人奴隷を解放して労働者とし、南部では依然として黒人を奴隷として広大なプランテーション農業を行っていった。

1860年 
大統領となったエイブラハム・リンカーンは、黒人奴隷解放を政策とし、南部が反発して南北戦争が始まる。

1863年
 リンカーンが奴隷解放宣言を発表。

1865年
 ゲディスバーグの戦いで北軍が勝利し、アメリカは統一される。
 リンカーンは憲法を改正して奴隷制廃止を明文化する。
 黒人は奴隷制から解放されたものの、社会的な差別や人種差別主義者からの迫害からは守られることはなく、私刑は20世紀半ばを過ぎても多くの黒人の命を奪い続けた。


西部開拓
時代
1865年〜
  1890年

19世紀半ばまで
 ミシシッピ以西には、30万人近いインディアンが存在していた。(強制移住させられた部族を除く)
 スー・シャイアン、コマンチ、ナバホ、アパッチなどの部族は、主に狩猟生活をおくっていた。

1860年代から80年代
 西部は、インディアンと白人との激烈な戦いの場となる。

1866年
 フェッターマン大尉以下81名のせん滅。
1876年
 スー・シャイアン連合軍によるカスター将軍大隊のせん滅。

 スー族のシッティング・ブルやアパッチ族のジェロニモの名は白人を震え上がらせた。

 白人側の軍事的・物量的優位がジェロニモを降伏させ、シッティング・ブルも保留地に閉じ込められ、逮捕された。

 第七騎兵隊は無抵抗のスー族200名を虐殺した。この事件によって、インディアンの武力抵抗は完全に弾圧された。


          オクラホマへのインディアン強制移住「涙の道」

 どの部族も陸軍によって徒歩による大陸横断を強制移動させられた。
 東部のインディアン部族のチェロキー族、クリーク族、チカソー族、チョクトー族、セミノール族の五部族が、徒歩で大陸を横断しオクラホマへ移住させられた涙の道は、途上死者は数千とも数万とも伝えられている。「墓に入るかと思えるような老婆までもが、重い荷物を背負わされ、歩かされていった」と書き残されている。


 当時の交通は馬車か船舶での移動に頼っていた。
 馬車は移動に時間を要する上に、大平原やロッキー山脈を越えなければならず、インディアンの土地を侵犯することによる襲撃などもあって、危険な交通手段であった。
 船舶はアメリカ大陸の南端を回るため、移動に4ヶ月を要し、さらに南米南端の海域は常に荒れて事故が多発していた。


 リンカーン大統領は南北戦争中から、大陸横断鉄道の建設を進めた。
 鉄道建設は苦難の連続。
 鉄道沿線に労働者街を形成したが、法秩序が確立されておらず、アウトローによる盗賊行為が頻発し、労働者は武装して、戦いながら線路を建設していった。
 無法者を裁判無しで処刑できる「リンチ法」が制定される。

 生活圏を脅かされることを恐れたインディアンが蜂起し、白人労働者を殺戮したため、政府は2000人の軍を沿線に投入して制圧した。

1869年
 横断鉄道が開通し、国土が一つとなる。
 横断鉄道の完成によって西部との物流・交流が活発になり、西部開拓時代が到来。
 広大な西部では放牧が盛んに行われるようになり、牛を追いかけて生活するカウボーイは西部を象徴するものとなる。

 西部の人口は増加したが、法秩序が確立されておらず治安が悪化し、保安官が登場。

1871年
 「合衆国はインディアン部族を独立国家とはみなさない。したがって今後はもう主権条約は結ばない」と宣言。

1890年
 「開拓に邪魔なインディアンの掃討作戦は終了した」と「フロンティアの消滅」を宣言。



                  ハリウッド映画「西部劇」
西部劇の代表的な監督がジョン・フォード。
 代表的な俳優がジョン・ウェイン、ヘンリー・フォンダ、ジェームス・スチュアート、リチャード・ウィドマーク、ジェームス・ステュアート等。その撮影の主な舞台となったのがモニュメントバレー。

 モニュメントバレーには、ジョン・フォードポイントと呼ばれる景観が点在している。

 西部開拓時代の社会情勢が20世紀に入り、西部劇の題材としてたびたび取り上げられた。ハリウッドが創り出した「正義の騎兵隊vs野蛮で残忍なインディアン」という図式は、史実とは異なるようだ.

 60年代70年代の日本では、この西部劇に酔いしれた若者が多かった。私もその一人。

 
帝国主義
 時代
1890年〜
  1918年

アメリカ人はフロンティアを太平洋上の島々へ求め始めた。

1898年
 ハワイ王国を併合して領土を太平洋上まで拡大。
 スペインとの戦争に勝利し、中米の多くの国を植民地とし、キューバを保護国に、プエルトリコやフィリピン、グアム島などを植民地化する。
1905年
 日露戦争の調停役を申し出るなど、国際的な立場向上を目指す。

第一次
世界大戦
1914年〜
  1918年

1914年
 サラエボ事件を契機に第一次世界大戦'が勃発。

 アメリカは、ヨーロッパの各国に武器、車両を輸出して外貨を獲得し、経済が潤う。

 戦争は長期化し、ヨーロッパは荒廃。
 イギリスはアメリカの参戦を要望したが、アメリカは参戦しなかった。
1917年
 ロシア革命が起こり、ソビエト連邦となる。

 アメリカはチェコ軍団の救出のため、日本と共にシベリアへ出兵。

 アメリカは終戦とともに撤兵したが、日本は侵攻を継続。

 アメリカは物量によってドイツへ軍事的圧力を加え、アメリカは国際的な威信を高める。

史上最高の
繁栄と没落
1918年〜
  1939年

第一次世界大戦後
 ウッドロウ・ウィルソン大統領の主導によって国際連盟設立。
 国家間の争いを防ごうと積極的に整備を進めたがアメリカは不参加。

 経済は、ヨーロッパに変わってアメリカと日本が大国として存在感を増す。
 アメリカと日本は繁栄を謳歌する。

 大都市では高層ビルが建設され、ニューヨークなどは摩天楼と呼ばれる高層都市となる。

 トーマス・エジソンの発明によって電気が普及。夜間でも明るい街は人々の活動時間を飛躍的に拡大させた。
 グラハム・ベルによって普及した電話は遠く離れた人と直接交流できる手段となり、ビジネスをより効率的に、効果的に発展させる。
 ラジオ・新聞等マスメディアの成長で、リアルタイムで新しい情報を仕入れることが可能な情報化社会のさきがけとなる。

このころ
 リンドバーグが大西洋無着陸横断飛行に成功。
 ベーブ・ルースやルー・ゲーリックなどの野球スターが登場。
 ハリウッド映画が製作される。

第二次
世界大戦
1939年〜
  1945年

1939年9月
 アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツのポーランド侵攻で第二次世界大戦が勃発。
 西ヨーロッパの大部分はドイツに占領される。
イギリスのウィンストン・チャーチルはアメリカに参戦を求めるが、ルーズベルトは中立を通す。

1941年
 ドイツはソビエトへ侵攻。
 三国同盟によってドイツと同盟関係にあった日本は中国大陸へ軍事侵攻。

 アメリカは西欧と共に日本に対して経済制裁を行う。

1941年12月
 アメリカの経済制裁により窮地に立った日本はハワイ真珠湾を攻撃。
 ルーズベルトは即座に宣戦布告して太平洋戦争が始まる。

 ドイツがスターリングラードの戦いに敗れ、アメリカとイギリス両軍はフランスのノルマンディーへ上陸。

 ドイツの主要都市を破壊し連合国の勝利が決定的となる。

 イタリアは政権転覆によって降伏。

 日本は開戦と同時に東南アジア植民地を次々に占領。

 アメリカはフィリピンとグアム、アリューシャン列島の数島を奪われたが、ミッドウェー諸島の占領を阻止し、ガダルカナル島上陸によって戦況は逆転。

 太平洋の島々で日本軍とアメリカ軍は世界戦史に残る壮絶な死闘を繰り広げる。
 硫黄島などでは多くの戦死者を出し、サイパンやフィリピン、沖縄では住民を巻き込んだ悲惨な戦争となった。

 北マリアナ諸島を占領したアメリカ軍は、日本に対して無差別爆撃で主要都市を焼き払い、日本の国家機能は破壊されてしまった。

 アメリカ国内の日系アメリカ人は敵性国民として、砂漠地帯の強制収容所に送り込まれる。
 日系人の若者は信頼を回復する為に軍へ志願入隊し、欧州戦線の激戦区に送られる。
 日系人部隊の戦いぶりは他の部隊を凌駕し、大戦で最多の勲章を受章する。
 この活躍により、米国での日系人の信用は徐々に回復していく。

 (このことは山崎豊子さんの小説「二つの祖国」に詳しく書かれています。)

 ルーズベルトは、チャーチル、スターリン、蒋介石と密接に会談(テヘラン会談、カイロ会談、ヤルタ会談)し、戦後の処理について路線を決定していた。

1945年5月
 ルーズベルトはドイツ降伏後に急死。

 トルーマン大統領はポツダム会談によって戦後の路線を明確にする。
 広島と長崎に世界初の原子爆弾を使用。ソ連もヤルタ会談の約束どおり参戦。

戦後世界の復興
 アメリカ・イギリス・ソ連の3カ国が主導権を握る。
 ドイツとオーストリアを英米仏ソ4国が分割統治。
 イタリアは領土割譲と高額の賠償金を承諾して講和。
 東欧諸国はソ連の影響圏に置かれ、南欧は英ソ両国が影響力を持つ。
 日本はGHQが統治。
 沖縄・奄美・小笠原・南洋諸島をアメリカが占領統治、朝鮮半島は米ソで分割、南樺太・千島はソ連が領有、台湾は中国が領有。

東西冷戦 1945年〜
  1989年

第二次世界大戦後
 アメリカとソ連が世界の覇者となり、国際連合を設立。
 戦後世界の構築を進めたが、アメリカは思想が異なるソ連と離反。

 アメリカはマーシャル・プランによって西ヨーロッパを経済援助することを基本路線とする。
 ソ連は東ヨーロッパの周辺中小国を共産化する。
 欧州大陸は東西に分裂。
 双方はベルリン問題で対立を深め、朝鮮戦争(1950年〜1953年)によって熱い戦いとなる。

 アメリカは欧州を防衛する北大西洋条約機構を設立し、ソ連と東欧を封じ込める戦略を採る。

 東洋では東南アジア条約機構・日米条約・米韓条約・米華条約・米比条約などを締結して、ソ連と中華人民共和国を包囲。


   国内では戦争が終わった安堵感と、若い兵士が帰国したことから結婚と出産が急増し、1945年から数年間で幼児人口が増加する。
 若い家族は、両親とは離れた郊外に一戸建てを購入して生活することが多くなり、核家族化が急速に進行。
 郊外の宅地整備ラッシュ、自動車と家電製品の製造、戦争で荒廃した西欧への製品輸出により、アメリカ経済は活性化し、1960年代には大好況となる。
 テレビ、レコードなどの新たな娯楽が普及し、エルビス・プレスリーなどのミュージシャンが登場。ハリウッド映画の黄金期と呼ばれるのもこの時代で、長編の大作映画が次々に製作される。


 世界では、独立国が資本主義的国家ならばアメリカが、社会主義国家ならばソ連が支援するという二極世界が誕生。

 互いは核兵器、大陸間弾道ミサイル、原子力潜水艦という軍拡が進行。
 大気圏内での核実験を相次いで実施し、核戦争に備える。
 両国は軍事的優位に立つために宇宙開発競争にも乗り出し、人工衛星、有人宇宙船を次々に宇宙空間に送り出したが、ソ連が常に先を行く。

1951年1月1日
 キューバで革命が起きる。

1962年 キューバ危機
共産化したカストロ政権はソ連と親交を深め、アメリカを狙う弾道ミサイルを配備しようとする。
 ジョン・F・ケネディはソ連と核戦争瀬戸際の外交戦を展開。
 この危機的状況を打破した米ソ首脳は、緊張の緩和を目指すことで一致し、この後は米ソの直接的な激突は避けられた。

 差別に苦しみ悩む黒人が公民権運動を起こす。

1963年
 奴隷解放宣言から100周年にあたるこの年、黒人のデモが相次いぎ白人と衝突。
 指導者的存在であるキング牧師はインドに学んだ非暴力闘争を主張し、支持を拡大する。

1963年11月22日
 黒人への公民権付与や大学自治の拡大を認め、解決への道筋をつけたケネディがテキサス州ダラスで暗殺される。

 リンドン・B・ジョンソンは、「貧困との戦い」と、公民権運動の最終的な解決を目指した「偉大な社会」計画を実行。
 ベトナムへ積極的な介入をしたが、共産軍や南ベトナムの共産ゲリラに苦しめられ、戦闘は泥沼化していく。

1973年3月
 リチャード・ニクソンはベトナム戦争から完全撤退する。
 ニクソンは、中華人民共和国の承認と外交関係の開始、ソ連との核軍縮条約の締結、国連における生物兵器禁止条約、絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約の採択と加盟、ドルと金の兌換停止、為替の変動相場制への移行、環境保護庁の設立、自動車の排気ガス規制など、外交と内政において多くの政策転換に取り組む。

 ウォーターゲート事件に対する議会からの責任追及により辞職し、大統領の権威低下と政治の信用低下となる。
冷戦後 1990年〜
  2001

 市民権を獲得した黒人も、高級職業につくことは難しく、貧しい生活が続く。
 大都市では低所得者や黒人・プエルトリコ人が暮らすスラム街が形成され、高所得の白人は郊外の住宅地に移転し、都市のドーナツ化現象が進行。
 政府は福祉に力を入れ、70年代に福祉国家へ生まれ変わった。

 レーガンはソ連を「悪の帝国」と規定し、それに対抗するためにスターウォーズ構想をはじめるなど、それまでの柔軟な外交政策を強硬的なものに変更。

 ソ連がアフガニスタンへの侵攻を開始したため、冷戦は新たな高まりを見せた。

 政治・経済・軍事を西側先進国の合議によって運営しようとするサミットが始まる。

 ジョージ・H・W・ブッシュは積極的な強硬政策を採り、パナマ侵攻と湾岸戦争を成功させ、軍の威信と信頼を取り戻す。

1989年11月9日
 冷戦の象徴であったベルリンの壁が崩壊。

同年12月3日
 ジョージ・H・W・ブッシュとミハイル・ゴルバチョフとのマルタ会談で「冷戦の終結」が宣言される。

1990年8月2日
 イラクがクウェートに侵攻。

1991年1月17日から2月28日 湾岸戦争
 アメリカ軍を中心とした多国籍軍が編成され、イラク軍と戦争を行い、クウェートをイラクから解放することに成功。

 この湾岸戦争は現在まで続く中東問題の端緒となる。

1991年12月25日
 ソビエト連邦崩壊。ロシア連邦が誕生。

 ビル・クリントンは経済的不況を解消することに努力し、アメリカは好景気を謳歌。
 クリントンの時代は、ソビエト連邦崩壊後のアメリカによる「一極支配」と呼ばれる時代となった。

同時多発
テロ以後
2001年〜
    現在

2001年1月20日
 アフリカ系アメリカ人のコリン・パウエルが第65代国務長官に就任し、黒人差別解消の象徴ととなる。

2001年9月11日
 アメリカ同時多発テロ事件が起きる。
 ブッシュ政権はこの事件の対応により支持率を拡大する。

 アフガニスタン侵攻、イラク戦争、対テロ戦争を始める。
 アメリカの強硬な外交政策はロシアや中国もテロ対策に賛同したが、イラク戦争によって対立へと変わっていく。

2004年
 再選されたブッシュ大統領は、アフガニスタンやイラクのほかにもイラン、北朝鮮を「テロ支援国家」「悪の枢軸」と規定。
 イラク戦争が泥沼化する。

2005年1月20日
 コンドリーザ・ライスが、第66代国務長官に就任。

2009年1月20日
 バラク・オバマがアフリカ系初の第44代大統領に就任。