モニュメント・バレーはユタ州からアリゾナ州にかけて広がる地域の名称。
公園自体はモニュメント・バレー・ナバホ・トライバル・パークと呼ばれ、ナバホ族が管理している。アメリカの国立公園管理下にはおかれていない。
モニュメントバレーは、メサと呼ばれるテーブル状の台地や、メサがさらに侵食が進み細くなったビュートと呼ばれる岩山が点在しており、岩がまるで記念碑が並んでいるかのように見える事から、モニュメントバレーと呼ばれている。
もとはナバホの聖地であり、彼らの生活の地である。
2億7千万年前の地層であるナバホ・サンドストーン(砂岩)がこの地域の主役であるが、当時川底であったこの地域に鉄分を含んだ砂が沈泥して堆積し、鉄分の酸化により茶褐色の地表となった。3千万前頃活発だったロッキー山脈造山活動で隆起したコロラド台地には、上流からコロラド川を中心として川が流れ込み、それによって削られた深い渓谷や山間台地は、現在でも風化や雨水による浸食は進んでいる。
現在はナバホ人が居住しているが、1200年代には30万人以上もの先住民族が生活していたと言われている。現在も当時の遺跡が次々と発見されている。
映画監督ジョンフォードは一目でこの地が気に入り、駅馬車、黄色いリボンなど数々の名画をこの地で撮影した。ジョンフォード、ジョンウェインらは、近くのロッジに泊まりながら撮影を続けたそうだ。西部劇の金字塔「駅馬車」で世界的に有名になった絶景は、映画史を彩る数々の名場面とともに、人々の心を魅了してやまない。
「駅馬車」はモニュメント・バレーで最初に撮影された映画。
この付近で先住民族ナバホとの交易所を開いていたグールディング夫妻が西部劇のロケ地を探していたジョン・フォード監督に働きかけて映画ロケを誘致。
現地を見たジョン・フォードは一目で気に入り、ジョン・ウエイン主演の駅馬車をここで撮影した。映画は好評を博し、アカデミー賞七部門にノミネートされ、二部門で受賞した。
駅馬車が東西ミトン・ビュートの間から上がってくる場面は有名だ。
「アパッチ砦」はジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダとジョン・ウエイン主演の西部劇。
「騎兵隊」「リオ・グランデの砦」と並んで騎兵隊三部作といわれている。
「アパッチ砦」は、モニュメント・バレーとその周辺の素晴らしい景色を登場させる。
荒野の決闘 My Darling Clementine |
「荒野の決闘」はジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演。
ラスト・シーン 女教師クレメンタインと主人公ワイアット・アープの別れのシーン。「愛しのクレメンタイン(My Darling Clementine)」が背景に流れ、印象に残るシーン。
「荒野の決闘 」 は実在の保安官ワイアット・アープ一家とクラントン一家の抗争を描いた映画で、OK牧場の決斗と呼ばれている戦いを描いたもの。
トゥームストーンの町で、アープとクレメンタインが教会の前のステージでダンスを踊ったところの背景にモニュメント・バレーのビュート群が見える。
黄色いリボン She Wore a Yellow Ribbon |
「黄色いリボン」もジョン・フォード監督、ジョン・ウエイン主演の西部劇。退官間近の大尉をとりまく人間模様を中心に描かれた作品。
シャイアン族との戦いも馬を追い散らして戦闘能力を奪うというもので、殺し合いは行われません。画像は騎兵隊基地における国旗掲揚の場面。
「黄色いリボン」もイースト&ウエスト・ミトン・ビュート付近で多く撮影されています。
「捜索者」はション・フォード監督、ジョン・ウェイン主演。ナタリー・ウッドがコマンチ族にさらわれ成長した娘役で登場。
ジョン・ウェインは、復讐に燃える残忍で冷徹な役を演じて、演技者として数段アップしたといわれる。幼い娘を誘拐したコマンチ族を追跡する場面。ノース・ウインドと呼ばれる付近で撮影される。
コマンチ族が野営しているテントを見下ろす場面等、ジョン・フォードポイントと呼ばれるところで撮影された。
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シャイアン(リチャード・ウィドマーク主演) |
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バファロー大隊(ジェフリー・ハンター主演) |
現在のモニュメントバレー
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東西ミトンビュート 駅馬車の名場面背景 |
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トーテムポール |
3姉妹 |
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荒野の決闘ラストシーン |
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