上益城郡校長会等あいさつ




                      「教育は環境なり」

 中国の故事に「孟母三遷の教え」というのがあります。
 先生方、ご承知のように孟子の母がどうにかして我が子をりっぱな人間にしたいとの思いから、孟子の生育環境に最も適した住まいを3度目に探し当てたという話です。
 つまり、「三遷の教え」とは、子どもの教育には環境の影響が大であり、教育は環境に支配されることを物語っているものです。
 この話をひもといてみますと、孟子の母は最初墓地の近くに居を構えました。が、孟子が遊ぶことに事かいて墓堀り人夫のマネばかりするのでこれではいかぬと思い、市場の傍らに住まいを移しました。ところがそこでは、孟子は商人の売り買いのマネばかりします。ここでも孟子の教育にはよくないとの思いから、学塾のそばに引っ越します。すると「お祭りの道具を並べて礼のまねごと(学習のまねごと)」をはじめたのです。孟子の母はこういうところこそ我が子の教育にふさわしいと喜んだという話です。
 まさに、「教育は環境なり」です。その教育環境の身近で最も影響あるのが学級担任であり、教科担任であると思います。その担任を指導するのが私たち校長の務めです。新しい学校づくりに相応しい教育環境を整えるためにも互いに英知を出し合い、21世紀の学校づくりに努めましょう。


 
          「人は家庭で育ち、学校で学び、地域で伸びる」

 私の学校では、「教育懇談会」を毎学期1回開いています。益城中央小学校の教育活動を理解し、応援していただくと同時に、「地域の子は地域で育てる」を提唱・実践していただくことをねらってのものです。区長、民生児童委員、主任児童委員、教育委員、社会教育委員、交通安全協会交通指導員、益城交番署長、老人会長、郵便局長さんなどに出席を願っています。
 7月5日、今年第1回の教育懇談会を開きました。14年度の学校教育目標などを説明したあとで意見交換をしました。その席でいろんな意見が出されました。
 A区長さんは、「私は脳梗塞で倒れ、今、リハビリをしている。医者によってリハビリの指導に違いがある(上手な先生とそうでない先生がいる)。私はいつも、『今日は、私のリハビリに一番あう先生に当たればいいが』と願って病院へ行く。子どもの教育も同じ。子どもは先生を選ぶことができない。保護者は『今年は当たった。』『外れた。』と言っている。どの先生も、子どもの能力を最大限に引き出し、それを伸ばしてくれる先生になるよう研修を積んで欲しい。」と話されました。保護者のことばを代弁してのことでしょう。
 また、社会教育委員さんは「文部科学省では、指導力のない先生を特別に研修させたり、他の職種への配置転換をすすめている。本校ではどのような職員研修をしているか。」と質問されました。
 さらに、新しい学習指導要領の本格実施による学力低下についての不安の声も数多く出ました。
 質問や疑問点については、私の説明である程度の理解を得ることができました。
 B区長さんは、「我々大人がいかに社会の変化(新しい教育改革の動き)に対応できていないかがよく分かった。学校週5日制を『地域・家庭週2日制』と捉えると、地域で子どもを育てる意識がはっきりする。今から、地域で何ができるかを検討する。」と前向きな発言をされました。
 これらの意見は、職員朝会ですべて紹介しました。
 職員は、教育改革について地域の関心の高さを実感したようでした。特に教師の資質や指導力について校区内の身近なところで話題となっていることに驚きを覚えると同時に責任の重さを真摯に受けとめたようでした。
 平成14年4月1日から施行された学校設置基準により、学校の説明責任がより求められるようになりました。地域から信頼される学校とは、学校から地域へ情報を発信するとともに、地域の声を職員に伝えるという外と内に開かれた学校づくり、地域と学校が協働した学校づくりの結果であると思います。
 「人は家庭で育ち、学校で学び、地域で伸びる」を実感したところです。
 教育界の動き、地域の動き、職員の動きを情報交換しあい校長としての資質を高めていきましょう。



                 「校長としての専門性・識見を向上させましょう」

 梅雨の末期現象として、集中豪雨が本県でもあっているようですが、先生方の学校、校区ではいかがでしょうか。特別の被害もなくなによりです。
 教育改革元年といわれてスタートした平成14年度1学期も早いもので7月となりました。
 各学校では、新しい学習指導要領の趣旨にそった教育活動を展開されているものと思います。その教育活動の説明責任が叫ばれて久しいのですが、説明責任が小学校設置基準に明記されたことはご案内のとおりです。
 設置基準をメモしてきましたので読み上げてみます。
第2条 (自己評価等)
 小学校は、その教育水準の向上を図り、当該小学校の目的を実現するため、当該小学校の教育活動その他の学校運営の状況について自ら点検及び評価を行い、その結果を公表するよう努めるものとする。
第3条 (情報の積極的な提供)
 小学校は、当該小学校の教育活動その他の学校運営の状況について、保護者等に対して積極的に情報を提供するものとする。
とあります。
 このことを、先日行われました「日本教育会総会・研修会」の席であいさつされた文部科学省の審議官は「地域及び保護者から信頼される学校づくりは評価と公開です。」と強調されました。
 子どもの適正な成長を支援する学校の教育活動を評価する視点の一つに、子どもたちの「学力充実」、「心の教育の充実」があります。それを実現するには教員の資質能力の向上が不可欠です。このことから校長の職務の一つに教職員に対する指導が強く求められているものと思います。と同時に、地域から信頼される学校づくりは校長を中心とした学校総体として実践することが肝要です。それには、学校管理者、学校経営者としての私たち校長の資質と力量を高めることが求められます。
 前千葉大学教授 大石勝男先生は校長の資質・能力として「人間性(性格)、専門性(知性)、経験(識見)」の3つをあげ、これが調和した経営が肝要だと述べています。この専門性と識見を向上させ、校長としての力量を高めるのが本研修会です。
 本日は当清和小学校の佐藤校長にご発表いただきます。佐藤校長の発表は8月に行われます県小学校長夏期研修会のリハーサルも兼ねていますので、先生方からお気づきの点を意見交換して欲しいと思います。また、中島南部小学校西校長は学校経営についてご発表いただきます。意見交換しながら互いの力量を高めていきたいものです。
 終わりになりましたが、本日は公務ご多忙の中に兼瀬村長、岡本教育長、本山教育事務所長にお出でいただきました。大変ありがとうございます。時間がございましたら研究協議にもご参加いただきご指導いただければ幸いに存じます。
 本日の研修会場をご提供いただきました清和村教育委員会並びに清和小学校に感謝申し上げ、あいさつといたします。


 
                「手を放して目は離さずに」

 本校では小学校1年生の段階で、親と子の関係が逆転していると思われるような事例が最近見えました。
 と言いますのは、「学校には行きたくない。」「ぼくは国語の勉強をしたいのになぜ先生が勝手に算数の勉強をすると決めるのか。」「今日はこれで家に帰る。」など言い張っている1年生子どもと親の指導をするということがありました。
 その家庭は、例えは悪いのですが、犬の散歩で飼い犬が飼い主をぐいぐい引っ張っている光景のようです。これは犬の躾ができていない状況、主従関係が逆転していることだということはご存知のとおりです。子どもが家庭では主人なのです。子どもの言うように親が動いているのです。連絡帳に母親が「昨日幼稚園の運動会で子どもがいただいてきた鉛筆を子どもに無断で削って筆箱に入れてやりました。私は子どものためと思ってしてやったのに子どもからひどく非難されました。私は気配りが足らないのでしょうか。」という意味のことを書いてきたそうです。担任は「気配りが足りないのではありません。無用の気配りが多すぎるのです。鉛筆とぎなど子どもが自分でできます。校長がいつも言うように『手を離して目は離さずに』の姿勢で子育てに励みましょう。」と言ったということです。
 子どもと親の関係が逆転しているのは父性の指導が不足しているところに起き易いということです。先生方、お読みと思いますが今読み返している本に中公新書「父性の復権」(林道義著)があります。読んでみませんか。
 本日はいくつか協議することがあります。また、学校経営上の課題交換もしたいと思います。お疲れでしょうががんばりましょう。



              「組織の経営者・管理者・指導者としての力量を高めましょう」

 昨年末、本校の大きな課題が解決しました。
 それは、川内田という地区で起きた登校班でのトラブルが解決したことです。
 いじめ問題が起きた初期の対応がまずかったことから地区の親同士の問題へと発展しました。
 いじめを受けた子のおじいさんが何度も校長室に怒鳴り込んできました。しかし、話を何度かする内にその方が一本気な方だと分かりました。それを素直に伝えました。すると、その方は「校長はわしばどくなやつではなかて思いよったろう。わしは裏も表もなか。学校で子どもの指導を一生懸命してもらいよるから、部落でも親同士が心を一つにして指導したか。そんためにこれまでのことはきちんと謝ってほしか。そこから再出発したい。」と言われました。
 そこで、12月22日、地区の保護者、そして区長及び区の役員を交えて話し合いを持ちました。
 その時のおじいさんの言葉です。
 「誰が悪いというのではない。子どもに、知識と精神力が足りなかったことが1番の原因。知識とは、強い者が弱い者をいじめることの愚かさに気付かなかったこと。精神力とは、いじめをはね返す、いじめに向かっていく気力が足りなかったこと。その知識が上学年の子どもになかった。気力が私の孫になかった。今度のことのようないじめが2度と起こらないように村みんなで子どもを育てていこう。」
 私は職員に次のように話しました。おじいさんの言葉は人権学習の視点そのもの。この言葉を一人一人がしっかり受けとめ本校の人権学習をさらに進めよう。
 と同時に、今回の事件から学んだこと、
@初期対応をきちんとすること。
A一人で課題を抱え込まないで周りの者と報告・相談・連携をかかさないこと。
B課題から逃げずに、解決のために正面から攻めていくこと。
C誠意を持って対応すること。
 今回の問題を教訓として、全員で子どもたちの指導に当たりましょう。
 1月8日、職員会議冒頭で職員に話した内容です。
 次代を担う人を育てるために、子どもの健やかな成長をはぐくむ教師であるために、次のことを常に意識して教員としての力量を高める努力をしよう。
 1 教育公務員としての自覚と誇りを持とう。
 2 研修に励もう。(理論研究と実践、実践の後は必ず自己評価。成果と課題を残す)
 3 本を読もう。(読書する姿を子どもに見せよう。)
 4 報告、相談、連絡・連携を密にしよう。(組織体の一員として)
 5 教育目標の実現に汗をかこう。
 6 得意分野を持つ教師になろう。
 7 説明責任が果たせる教師になろう。
 8 指導と支援が果たせる教師になろう。
 それぞれ各学校では、すばらしいスタートが切れたものと思います。
 私たち校長は、組織の経営者として、管理者として、指導者として、アドバイザーとして、コーディネーターとしての力量を高めねばなりません。互いに情報を交換しあいましょう。


 
                  「進みつつある教師のみ人を教える権利あり」

 平成の教育大改革といわれる学習指導要領本格実施2年目を迎えての学力充実方策、心の教育の充実方策、地域改善対策特別法が失効しての人権教育の在り方、教職10年経験者研修、指導力向上研修、初任者研修制度の移行期における校内における初任者研修の在り方、12学級以上の学校に必置の司書教諭の職務内容等々私たち校長の力量が大きく問われる15年度がスタートしました。
 今ほど、私たち校長自らが研修に励み、校長としての職業能力を高めなければならない時期はないと思います。
 私は、校長会という組織は自分の職業能力を高める職能団体と捉えています。
 このような意味から私には会長という職をこなしていく力も自信もありませんが、学習することだけは好きな者の一人ですので校長先生方と一緒に学習をする気持ちで会長という職を私にできる範囲で引き受けていきたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。
 玉川学園創立者小原國芳は、「進みつつある教師のみ人を教える権利あり」と言っています。
 「テスト問題すら自分でつくらないような怠け者の、工夫のない教師に、なんで子どもがついてきましょう。嫌われ、造反されてあたりまえです。」から、この言葉を続けています。
 これは、私たち校長にもいえることではないでしょうか。
 そこで、私の考えを少しお話しします。
 職業能力を高めるには事例研究が一番です。各学校における課題を一人抱え込まないでこの校長会の場で共有し、みんなで課題を解決していきましょう。そのために、意思統一しておきたいことがあります。
 ・ここで話し合うことはすべて校長の胸の内にしまい込んでおくこと。
 配付される資料も校長止まりは校長止まりとしてください。
・教育事務所からの指導であれ、校長会としての申し合わせ事項であれ、校長自らの判断として職員を指導すること。自分の言葉で話してください。
 昨年度から、校長会の在り方が大きく変わりました。今年度も研修する校長会を目指していきましょう。
 校長先生方のご協力をお願いしましてご挨拶といたします。



                 「校長は歩く広告塔」

 15年度がスタートして1ヶ月が過ぎました。校長先生方、それぞれに学校の課題が見え、課題解決方策を立てておられることだろうと思います。
 本日は、新任校長の先生方、上益城郡に転任してお出でた校長先生方と校長の資質とは何か、学校経営では何を主眼とすべきか等について互いに学び合い、課題解決方策をより確かなものとする研修会です。
 そこで、学校経営にあたって大きく2点お話しします。
 まずは、「自分の持ち味を生かせ」ということです。
 校長の資質は次の3つの視点から考えられます。それは、「人間性(性格)」、「経験(識見)」、「専門性(知性)」です。学校経営にはこの3つの調和が必要だとは思いますが、現実にはどれかに偏りがちです。この偏りが「持ち味」ではないでしょうか。
 私自身のことをふり返りますと「人間性」に重きを置いた学校経営をしているようです。これは物わかりのいい校長になろうということではありません。職員が互いに相談しあい、あるいは校長に気軽に相談しながら、教師自身が主体的に物事を判断し、共通理解、共通実践ができると考えているからです。校長があれこれ指示することよりも長続きします。また、「専門性」を前面に押し出した職員指導にも心がけています。このため、インターネットからの情報、教初等教育資料、教育委員会月報、教職研修等から情報を入手し、情報提供はいつもしています。自分流の教育論を教師に押しつけることは避けたいと思います。
 第2は、「教育者としてのビジョンを持て」ということです。
 校長室には歴代校長の写真が罫額してあります。それぞれの意志と思いで学校を経営して来た先輩校長の顔です。教育の充実・刷新に力を注いだ校長、明るい笑顔や会話が飛び交う時代の校長、団体との交渉に明け暮れた校長もいるはずです。学校沿革誌を見ると行間からいろいろなことが読みとれます。これら先輩校長に負けない教育ビジョンをもって、「この学校に骨を埋める」気概を持って学校経営にあたっていきましょう。
 私の学校経営の柱は、次の3本です。
(1)子どもが主役。学校教育は子どもから始まり子どものために行われる。
(2)教師のモラールを高める。
(3)若い人や仲間を育てる。
 この3つを推進する視点に、私は「生涯学習の視点」と「人権尊重の視点」をすえています。
 1ヶ月の間に子ども、保護者、地域住民とのたくさんの出逢いがあったことでしょう。
 「今度来た校長はどんな人だろうか。子どもを大切にしてくれるか」と関心が高うございます。
子どもに明るく声をかける姿を教師も保護者も地域の人も見ています。見たことは噂のように広がります。
 子どもへの「愛」を基盤にした長期の確固たるビジョンを持って、それを保護者や地域の人へ発信していくことが大切だと思います。こういう意味から「校長は歩く広告塔」だと思います。
 子どもにも保護者にも、そして教員にも自分の教育ビジョンを語ることができるとともに、校長同士が我が校の教育内容の質を高めることで競い合うような校長会としていきましょう。そのために校長自身が生涯学習を実践しようではありませんか。
 お手元に配付しました「木山川」は、昨年1年間、私が発行した校長室便りです。何かの参考にしてください。
 本日はこのあと、前木山中学校長、久保征明先生に講話をお願いしています。学校経営の羅針盤を示して頂くものと思います。共に学びましょう。



           「大志を抱き、努力を積み重ねればいつか艱難辛苦を乗り越えられる」

 久しぶりに「路傍の石」を読み返しました。時が経つのも忘れ、作品の世界に引き込まれ、一喜一憂している自分に気づきハッとしました。今の子どもたちを取り巻く環境とはあまりにもちがい、年齢も私よりはるかに若い吾一少年なのに、いつの間にか自分の心のとりこになってしまいました。読めば読むほど人の心を魅了する名作だなと感じました。
 題名「路傍の石」とは、「路端に転がっていて、踏みつけられてもじっと絶え、がんばっている石」のことです。この作品での「路傍の石」とは、あらゆる苦難に耐え、乗り越え強く生き抜く「愛川吾一」少年のことです。
 「汽車が来たとき、鉄橋の枕木にぶら下がることができる」と言って実際にぶら下がるという有名な場面があります。幸い運転士が汽車を止めたので助かりましたが騒ぎが大きくなり、事件後、次野先生が「吾一というのはな、われ一人なり。われはこの世に一人しかいないという意味なのだ。世界に何億の人間がいるかもしれないが、愛川吾一という者は、世界にたった一人しかいないのだ。」と話して聞かせます。
 作者山本有三が生まれた栃木市郊外の公園にある山本有三記念碑には、「たった一人しかいない自分を、たった一度しかない人生を本当に生かさなかったら、人間生まれてきたかいがないじゃないか」という句が刻まれているそうです。このことからも作者山本有三の人生観が伺えます。
 山本有三は、吾一少年と次野先生の言動を通して、読者に自分の命や名前の大切さを語りかけているのです。たった一人しかいない自分を、たった一度しかない人生を、私たちはどのように生き輝かせ、両親の愛情や期待にどのような形で応えるかをしんけんに考えなくてはならないと痛感しました。
 また、「大志を抱き、努力を積み重ねればいつか艱難辛苦を乗り越えられる」ことをこの書に学びました。
 学級経営や学校経営についても同じことが言えるのではないでしょうか。私たちは4月担任した学級をこんな学級にしたいという学級像を描きます。描いた学級像に近づくために、児童の実態を調査し把握します。実態を分析して課題を把握します。課題解決に必要な知識や技術に関する学習をします。そして、課題解決のための方法や手順などを織り込んだ行程表を作ります。その行程表に基づいて指導する中で新たな課題が見えてきます。その課題解決のための方策を考えます。このようにして、自分が描く学級像に近づく努力をしています。学校経営も全く同じことです。
 課題解決に必要な知識や技能を得る学習の一つが、各町村で実施されています中堅職員研修です。本日はその合同研修会です。
 昨年のこの会の開会のあいさつで私は、懇親会とは酔っぱらうまで一人酒を飲む会ではありません。名刺交換をしながら互いに情報交換する場ですという意味のことを申しました。今年は、お世話いただく先生方のアイデアで互いに手作りの名刺交換をする企画もしてあります。
 各町村教育長、教育事務所長をはじめ所員の先生方、各学校の校長・教頭、そして各学校の中核として学校運営に当たっている先生方がたくさんおいでです。
 おおいに飲み、おおいに名刺交換、杯交換をして学習し合おうではありませんか。
 この会の企画運営に当たられた先生方、お忙しい中私たちがこれから進むべき道をお示しいただいた原田審議員に感謝申し上げあいさつの言葉といたします。



            平成15年度 上益城郡御船署管内学警連総会あいさつ

 7月末の県南地区の集中豪雨では、たくさんの方が被害に遭われ、尊い命も奪われてしまいました。また、先日の台風10号では幸い本県においては大きな被害はありませんでしたが、各種研修会は中止または延期となりました。今回の台風は日本を縦断する形となり各地では大きな被害がありました。あわせて、今夏は近年にない冷夏で農作物等の収穫への影響が心配されているところです。
 夏休みも後半に入りました。各町内、各学校に置いては児童生徒に関する事件事故等は発生していないようです。これもそれぞれの学校における日頃の生徒指導の成果であろうと思います。
 ところで、7月には私たち教職員の常識を覆す、事件が相次いでおきました。沖縄での事件、長崎での事件、そして、東京都渋谷での事件。これらの事件を受けて文部科学省は次の3点について各学校に点検を要請しています。
  @校長を中心とした学校総体としての指導管理体制が整っているか。
  A学校・家庭・地域が一体となった子どもの指導の取り組みがなされているか。
  B倫理観指導に欠如はないか。
 私たちは、我が校の児童生徒の指導について再点検する必要があります。
 また、私の学校で起きたことですが、7月末、18歳の少年3人が夜間プールに侵入し、補導される事件が発生しました。益城交番での事情聴取に立ち会いました。少年達ははじめは自分たちがしたことの重大さをあまり認識していないようでした。聞き取りが終わればそのまま帰れるように思っていたようでした。ところが、警察官の方が、保護者の氏名・電話番号を聞かれ、これから君たちを引き取りに来てもらうと告げられて初めてことの重大さに気づき、頭を抱え込みました。そのとき、警察官の方が少年に「今度のことを反省してきちんとした生活をすることが大事ぞ」と諭されました。引き取りに来られた保護者と少年3人は神妙な顔つきで帰っていきました。翌日、そのうちの一人が学校に詫びに来ました。私は「今日、詫びに来たのは君の気持ちからか。両親のすすめからか。」とたずねてみました。少年は「自分で考えてきました。」と応えました。私はここに青少年の補導・指導の大切さを見る思いでした。
 犯罪の低年齢化、凶悪化が指摘されているいま、学校、警察、と連携した生徒指導の充実が求められています。
 このような観点から本日の会が意義あるものとなりますようお願いしてご挨拶といたします。



         校長・教頭合同研修会あいさつ「白鳥芦花に入る」

 こんにちは。早いものでもう8月です。夏季休業も4分の1が過ぎました。先生方、心身のリフレッシュができていますでしょうか。夏季休業中とはいえ、朝早くから夕方遅くまでの勤務で心が安まる暇もないのではないでしょうか。
 ふり返りますと、1学期にはこれまでの私たち教員の常識を打ち砕くような事件があいついで起きました。沖縄県における中学生が同級生を暴行により死に至らしめるという事件、長崎県では中学1年生が幼児を駐車場屋上から突き落とし死に至らしめた事件、そして、東京都では小学6年生が4日間も監禁されるという事件。教育のあり様を問い直させる事件でした。
 文部科学省では、これらの事件を踏まえ、指導管理体制が整備されているか、倫理観の指導がなされているか、地域ぐるみの取り組みがなされているかを再度点検するよう求めています。
 ところで、皆さん「白鳥芦花に入る」という言葉をご存知でしょうか。これは、皆さんご存じの下村湖人が「次郎物語」で、朝倉先生の口を通して次郎達に話した言葉です。
 「白鳥芦花に入る」は、真っ白な鳥が真っ白な芦原の中に舞い込むと、その姿は見えなくなります。しかし、その羽風のために、今まで眠っていた芦原が一面にそよぎ出すと言う意味だそうです。村おこし活動の在り方で次のように説明しています。若い人たちが20数名集まって会を作り、熱心に村のことを研究し、生活の調和と革新を図るために、意見を出し合い、計画を定め、その実現を誓い合いますが、それをみんなに発表するようなことはしないで、率先躬行したり、村の人の中で身近な人を説き伏せていき、いつのまにやら村の気風を改めていったというのです。この次郎物語は下村湖人が1936年頃から執筆を始めたということですので、もう60年以上も前のことですが、今、私たちはこの手法を地域ぐるみの教育改革の在り方に取り入れるときではないでしょうか。事件がある度に青少年教育の在り方、刑法の在り方等話し合われます。しかし、かけ声だけでは、世の中少しも変わりません。話し合ったことを率先躬行、自分の身近なところから進めていきましょう。
 本日は、これまで長年に渡り学校教育、教育行政にかかわってこられ、現在、熊本市職業訓練センター所長白石修先生に「管理職の在り方」について御講話いただきます。私たち管理職の今後の方向性を指し示していただくものと思っています。どうぞよろしくお願いします。



                     上益城郡小学校長会総会あいさつ

 今、益城町で社会教育指導員をしています。先日、公民館講座受講生の受付がありました。8時30分からの受付に、一番乗りは6時30分だったとのことです。益城町住民の生涯学習意欲が旺盛なことに驚きを覚えました。
 午後、おじいさんが2歳か3歳くらいのお孫さんを連れて「男の料理教室」に申し込みに来られました。受付が済み帰るとき、おじいさんはさっさと自分だけ靴を履き、孫の靴履きは孫に任せられました。2・3歳くらいの幼児はおじいさんに「靴を履かせて」と言うこともなく自分で一生懸命靴を履いています。右・左の区別もできず、小さな手で靴を履こうと一生懸命です。おじいさんはその様子をただ眺めているだけで手伝おうとはされません。5分以上はかかったと思います。女の子が立ち上がったところで「靴は履けたね。ようできた。」と頭をなでてほめられました。女の子はうれしそうでした。
 しばらくして、若いお母さんと5歳くらいの男の子がやってきました。お母さんは育児教室に申し込みに来られたのです。受付が終わって帰るとき、お母さんはまず自分の靴を履きその後で、「○○ちゃん、おいで」と子どもさんの名前を呼ぶと子どもは走って玄関に来て、足を投げ出しました。その足にお母さんは丁寧に靴を履かせました。それは、主人と家来のような関係を想起させました。
 幼児が靴を履く瞬間の二つの出来事ですが、そのことに止まらず家庭教育の違い、子育ての違いの現実を見せつけられました。入学前にこれだけ違いのある子どもたちを一つの学習集団として、生活集団としてまとめ上げるこの時期の学校教育の重要性、そして困難性を見ました。
 新年度がスタートしました。情報収集をしながら学校経営に励んでおられることと思います。 ご存じの「桃太郎の鬼退治」では、桃太郎はキジ、サル、イヌを家来にし、家来の活躍で鬼を退治することができました。
 キジは空高く舞い、鬼ヶ島の情報を収集しました。サルが情報を分析し、鬼退治の知恵を働かせ作戦を練り上げました。イヌは作戦に従って実践し、鬼を退治しました。このキジ、サル、イヌの力を常に持ち学校経営に当たりたいものです。
 小学校長会がますます充実発展しますようによろしくお願いします。



                上益城校長会 会紙「土」巻頭言

 過日、家庭教育について話を依頼され次のようなことを話しました。
 「下農は雑草をつくり、中農は作物をつくり、上農は土をつくる。」
 この言葉は農業のことをいっています。
 「下農は雑草をつくり」とは、怠慢な農家は、田畑に雑草を生やしてしまうということです。
 「中農は、作物をつくり」とは、せっせと働く農家は、よい作物をつくり収益を上げることに努力するということです。
 「上農は、土をつくる」。つまり上農は、目先の収穫よりも、まず土壌を豊かにすることに力を注ぐという農業の手本を示した言葉です。
 この言葉を家庭教育に置き換えてみると、子供のしつけや家庭教育を怠り放任して勝手気ままに育てた子は、あるいは非行に走り、手に負えない事態になりかねない可能性も多いでしょう。 中農といわれる一般家庭は、よい成績、よい学校、よい就職と夢をみて、子供を励まし時には背伸びしすぎてしまうこともあります。
 上農、つまり、思慮深い家庭は、しつけを重んじ人に迷惑をかけない、思いやりの心を育て豊かな心を育んだ人づくりを重視する家庭。このような家庭に育った子供は、思いやりの心、感謝する心など人間として大切な心を持った人に成長するでありましょう。
 家庭、地域社会は、土をつくる上農の精神の如く、温かい心を持った子供たちを育てていきましょう。
 この言葉のもつ意味は、学校教育にも、学校管理にも共通するようです。
 上益城郡校長会会誌「土」を読むたびにこの言葉を思い出します。先輩校長がどんな思いで命名されたのかは分かりませんが、「上農は土をつくる。」から命名されたのではなかろうかと私なりに思っているところです。
 それは、学校経営では目先のことにとらわれるのではなく、自分が目指す学校像に迫るための環境作り、人づくりが大切であると思うからです。
 子どもたちの「生きる力」をはぐくむことのできる環境をつくりたいと思っています。