「つながり感」を大切にしましょう〜みんなちがってみんないい〜
平成23年7月30日
合志市総合センター“ヴィーブル”

 皆さん、今日は。
 ただいまご紹介いただきました中川でございます。「なかがわありとし」さんとご紹介いただきました。そのとき、皆さんの中に「えっ、ありとしと読むのか」というような反応がありました。本日の人権教育研究大会の案内を見て、「社会教育部会の講師は女性バイ」と思っていた方いらっしゃるでしょう。(そう思っていたという反応有り)女性と思われた方、どれくらいいらっしゃいますか?(10名程度挙手)ありがとうございます。
 今、挙手していただいた方は私の名前を「ゆうき」または「ゆき」と読まれたのでしょう?
 私が新任教員として牛深小学校に赴任したときのことです。「中川です。よろしくお願いします」と校長室にあいさつに行くと、校長先生は私の顔を見つめながら、「あたはほんなこて中川先生な。私ぁ職員に『女性の先生が来る』と紹介していたのに。男の先生な。あたはほんなこて中川先生な?」と私に念を押されました。校長先生も、私の名前を「ゆき」または「ゆうき」と読まれたのでしょう。だから私を女性の先生と思い込まれたのだと思います。
 この会場で、あるいは親戚や知り合いの中に、私と同じ名前の方はいらっしゃいませんか?(挙手なし)「有紀」という女性にお目にかかるときが時々あります。
 「有」という文字は、上に「保」という文字を付けると「保有する」と言う熟語ができるでしょう。「有」は「保つ」という意味があり、「たもつ」とも読みます。「紀」は「21世紀」の「紀」で、「年」という意味があります。そこで、「紀(年)を重ねて年相応の分別ができるような人間になれ」との願いを込めて父が付けてくれた名前です。私はこの名前が好きで名前に誇りを持っています。父の願いに沿うよう努力していますが、なかなか年相応の人間にはなれません。生涯、学習だと思っています。もうこの世にいませんが、こんなすばらしい名前を付けてくれた父に感謝しています。父を敬愛しています。
 お子さんやお孫さんがいらっしゃる方、お子さん誕生時の感動、名前に込めた親の思い、家族の思いを低学年のお子さんだったら膝の上に抱っこして、高学年だったら手を取り、目を見つめて、家族の喜びや感動を、そして名前に込めた家族の思いを話してやって下さい。きっと、お子さんは自分の名前をこれまで以上に好きになり、誇りを持つと思います。自分の名前を好きになり誇りに思うことは、自分自身を好きになり誇りに思うことにつながります。これが自尊感情を育み、自分も周りの人も好きになることができる人に育つと思います。私はこのことが人権教育の礎であり、スタートだと思っています。
 私は68歳の今でも小学校や中学校時代の幼なじみからは「ありちゃん」とよばれています。私は「ありちゃん」と愛称で呼ばれることを嬉しく思っています。ところが、私は小さい頃、上級生などから、「おっ、アリの来よる。アリば踏みつぶそう」と足で踏みつぶす仕草をしてからかわれたりいじめられたりすることがありました。そんなとき、「俺はアリじゃなか。有紀」と体当たりでぶつかっていきました。
 みなさん方のお孫さんやお子さんが名前のことでからかわれたり、意地悪されたりして悔しい思い、悲しい思いをしているときは、意地悪している子や周りの子に、名前に込めた家族や親御さんの思いを語って下さい。名前に込められた親御さんの願いや思いを知ったら、からかったり意地悪したりすることの愚かさにきっと気づくと思います。
 また、人は思春期から青年期にかけて道を外れそうになることがあります。私も若い頃、道を外れそうになりました。2人の息子も外れそうになりました。そんなときも目を見て静かに語ってやって下さい。「あなたが小さいとき話をしたように、あなたの名前にはこんな家族の思いが込められているのよ」と。きっと元の道に帰ると思います。
 お手元に配付しています「一度きりのお子様ランチ」を一緒に読んでみましょう。


     一度きりのお子様ランチ

 ある日、若い夫婦が二人でレストランに入りました。
 店員はその夫婦を二人がけのテーブルに案内し、メニューを渡しました。
 「Aセット一つと、Bセット一つ。」
 店員が注文を聞きその場を離れようとしたその時、夫婦はしばし顔を見合わせ、「それとお子様ランチを一つ頂けますか?」と言いました。
 店員は驚きました。なぜなら、そのレストランの規則で、お子様ランチを提供できるのは小学生までと決まっているからです。
 店員は、「お客様、誠に申し訳ございませんが、お子様ランチは小学生のお子様までと決まっておりますので、ご注文はいただけないのですが・・・」と丁重に断りました。
 すると、その夫婦はとても悲しそうな顔をしたので、店員は事情を聞いてみました。
 「実は・・・」と女性が話し始めました。
 「今日は、天国へ旅立った私たちの娘の誕生日なんです。私の体が弱かったせいで、娘は最初の誕生日を迎えることも出来ませんでした。娘が私のおなかの中にいる時に『三人でこのレストランでお子様ランチを食べようね』って話していたんですが、それも果たせませんでした。子どもを亡くしてから、しばらくは何もする気力もなく、最近やっと落ち着いて、亡き娘にここの遊園地を見せて、三人で食事をしようと思ったものですから…」
店員は話を聞き終えた後、少し何かを考えていた様子でしたが「かしこまりました。」と答えました。
 そして、その夫婦を二人掛けのテーブルから、四人掛けの広いテーブルに案内しました。さらに、「お子様はこちらに・・・」と、夫婦の間に子ども用のイスを用意しました。
 しばらくして、「お客様、大変お待たせいたしました。ご注文のお子様ランチをお持ちいたしました。では、ゆっくりと食事をお楽しみください。」
店員は笑顔でそう言ってその場を去りました。
 この夫婦から後日届いた感謝の手紙にはこう書かれていました。
 「お子様ランチを食べながら、涙が止まりませんでした。まるで娘が生きているように、家族の団らんを味わいました。こんな体験をさせて頂くとは、夢にも思っていませんでした。もう、涙を拭いて、生きていきます。また来年も再来年も、娘を連れてこの遊園地に来ます。そしてきっと、この子の妹か弟かを連れて行きます。」

 いかがでしたか?
 この話を以前聞かれた方は、いらっしゃいますか?(数名挙手)ありがとうございます。この話は、東京ディズニーランド内のあるレストランで実際にあった話です。レストランの規則を破った店員は、上司に叱られたでしょうか。いいえ。お客さんに喜んでもらい、感動を与えたと賞賛されたそうです。
  ミッキーマウスの産みの親、ウォルト・ディズニーが人々に感動を与えようとディズニーランドを造りました。日本では千葉県浦安に、東京ディズニーランドとしてオープンしました。
 感謝の手紙にあるように、「お子様ランチを食べながら、涙が止まりませんでした。まるで娘が生きているように、家族の団らんを味わいました。こんな体験をさせて頂くとは、夢にも思っていませんでした。もう、涙を拭いて、生きていきます。」これこそ感動です。このような感動の積み重ねによって感性がさらに豊かになります。この感性が人権感覚を豊かにします。
 誰かに親切にすることで、「ありがとう」や「笑顔」が返ってきます。それが「生きている」「誰かとつながっている」の実感につながります。
 私は、人権とは「自分の生活を理由なく侵されず、人が人として生きていくことのできる権利」ととらえています。また、一歩進めて、「人権とは、『差別してはいけない』ばかりでなく、自分自身が人間らしく豊かに、『いきがい』を持って生きる権利」ととらえたいとも思っています。
 今、私たちの周りには解決しなければならない様々な人権課題があります。それは、同和問題をはじめ、女性差別、子どもに対するいじめや虐待、高齢者や障がい者、水俣病被害者、ハンセン病回復者、外国人などに対する偏見や差別等です。
 熊本県では、同和問題、水俣病問題、ハンセン病問題の3つを大きな人権課題として教育啓発に力を入れています。ここ合志市では、身近な問題としてハンセン病回復者に対する偏見や差別の解消に取り組んでいらっしゃいます。
 11月には恵楓園内に保育所が開設されるそうですね。保育所が開設されれば、入所者と保育園児や保護者との交流が行われ、ハンセン病問題に関する正しい理解が深まり、ハンセン病問題に対する偏見や差別が解消されることと思います。
 お手元に、同和問題、水俣病問題、ハンセン病問題に対する意見を綴った中学生の作文を付けています。
栃木県大田原市立金田北中学校3年、舩山泰一君の「一人でも多くの人に伝えたい」を読みます。


      一人でも多くの人に伝えたい

 人権について考え、悩む三度目の夏が来ました。僕が母に何気なく質問したその内容の重要さを、一人でも多くの人に伝えたいです。
 「同和問題ってどんな問題。」
 僕は、まるで数学の文章問題でも解くような感覚で母に尋ねると、それまでにこやかだった母の顔つきが変わりました。
 「大切な話をするからね。」
と言った母の険しい表情から、これはただならぬ問題なのかもしれないと感じました。母は最近届いた一枚の葉書を見せてくれました。それは二人目の子供が生まれて、にぎやかになりましたという内容で、幸せそうな家族の写真がありました。
「この幸せをつかむまで、どれほどの苦労があったと思う。」
僕は、母から信じられないというか、信じたくない事実を知らされ、かなりショックを受けました。
 母は、結婚する前、小学校の先生をしていました。母の勤務していた学校の学区内に、部落地区があったそうです。その葉書は、教え子である部落出身のAさんから来たものでした。Aさんは、当時、差別や偏見といういじめにあっており、母はどうにかAさんを守ろうと、必死に闘いました。どんないじめがあったのかというと、例えば、
「あの子は部落の子だから遊んじゃダメ。」
と親が子供に言うのです。その結果、何も悪い事をしていないのに避けられ、結局、部落の子は、部落の子としか、遊べなくなったのだそうです。そんな事が実際にあったかと思うと、胸が引き裂かれそうになりました。母は子供よりもまず、親の考えをどうにかしようと、何度も話し合いをしたそうです。しかし、親もそのまた親に同じように育てられているため、問題の解決は難しく、母は差別の根強さに苦しめられたのでした。
 あれから十数年が過ぎ、時代も変わり、以前よりは良くなったとは思いますが、差別が無くなったわけではありません。結婚となると、さらに難しい問題だったのです。部落の人々は、部落同士の結婚が多く、よそから嫁いで来る人は、その事を知らずに結婚している事が多かったそうです。結婚してから、何も分からず差別に遭い、耐えられず離婚する人も少なくないそうです。Aさんの両親もその内の一人でした。
 Aさんは、父親に引き取られ、父親の親族が協力しあって育ててくれました。幼い頃から苦労してきたAさんは、とてもしっかりした、優しい女性です。早朝、コンビニでアルバイトをしてから専門学校へ通い、父親の負担を少しでも減らそうと学費の半分を自分で出し、卒業後は、病院で働いていると母が言っていた事が心に強く残っています。僕が小学生の時に、何度か遊びに来たことがあるので今でもよく覚えています。
 あの時母に、結婚の相談をしに来ていたなんて思いもしませんでした。部落出身という消したくても消せない事実に、どれ程苦しめられたのでしょう。プロポーズをされても素直に喜べず、その事を打ち明けるべきか、黙っておくべきかで、ひたすら悩み、どうしていいか分からなくなり、母に助けを求めて来たのです。彼女が黙ったまま結婚出来る性格ではない事を知っている母は、そうとう悩んだ末、
「あなたを選んでくれた人だから大丈夫。もしも、打ち明けて気持ちが変わるような人だったら、こっちから振ってやんなさい。」
と強気で言ったそうです。
 それから数日後、Aさんから「幸せになれそうです。」という手紙が届き、それから半年後に、結婚披露宴の招待状が届いたそうです。花嫁姿を見た時、「今までよく頑張ったね」という気持ちがこみ上げ、涙があふれたそうです。
 江戸時代に作られた身分制度が、明治維新により四民平等となったのにもかかわらず、平成になった今も、まだこうした差別が残っている事実から、僕たちは目をそむけていいのでしょうか。確かに母も迷ったそうです。「知らなければ、このままずっと知らないままでもいいのかな」と思っていたそうです。しかし、今回、僕があまりにも同和問題に対し、軽く考えているように見えたらしく親として正しい事を伝えていくべきだと思ったそうです。
 母からこの話を聞いた時は、ハンマーでおもいっきり頭をなぐられたくらいのショックを受けました。今も、悩み苦しんでいる人がいるのだとしたら、そんな世の中を絶対に変えていかなくてはならないと思います。何もしなければ、何も変わりません。母が僕に話をしてくれたように、僕も正しい事を伝えなければならないと思いました。それが、今僕に出来る事だから。

 いかがでしたか?
 舩山君は、「今も、悩み苦しんでいる人がいるのだとしたら、そんな世の中を絶対に変えていかなくてはならないと思います。何もしなければ、何も変わりません。母が僕に話をしてくれたように、僕も正しい事を伝えなければならないと思いました。それが、今僕に出来る事だから。」と結んでいます。
 今、学校では文科省が示しました「人権教育の指導法の在り方について」を指導指針として人権教育が進められています。その中で人権教育を通じて育てたい資質・能力を次のように示しています。「自分の人権を守り、他の人の人権を守ろうとする意識・意欲・態度」。これは「知識から実践行動へ」ということです。
 21世紀は、「人権の世紀」といわれています。人権の世紀はただ座しているだけでは人権の世紀とはなりません。一人ひとりが人権の世紀とする行動に移すことです。このことを舩山君は私たちに訴えています。
 次は、熊本県立八代中学校1年、井上由紀子さんの「私の大好きなふる里」です。


    私の大好きなふる里
 あなたには、大好きなふる里がありますか。私には、緑の木々と青い海に囲まれた自然豊かな大好きなふる里があります。私のふる里は、過去に公害という大きな被害をうけた水俣です。その水俣病で患者はもちろん、そうでない人も長い間差別をうけてきました。
 父が幼い頃、まだ水俣病の原因が究明されておらず、水俣病はうつると言われていました。列車が水俣の駅につくと、窓をしめ、手で口をおおった人もいました。修学旅行に行くと、同じ宿舎になった学校から苦情を言われたこともありました。水俣出身ということで結婚を断られた人や就職試験をうけることさえできなかった人もいました。水俣に住んでいることをかくして、隠れるようにひっそり暮らしていた人もいました。また、同じ水俣に住む人でさえ奇病と呼び、距離をおきました。そのことで、たくさんの人々が傷つきあってきたのです。いろいろな立場の人々がせまい土地に住んでいるのですから、仕方がなかったのかもしれません。
 しかし、今では原因も究明され、海の安全も確認されたことで、そのようなことはほとんどなくなりました。私たちは過去のことを忘れるくらい、楽しくすごしています。私は今、八代の中学校に通っています。私は自分が水俣出身ということを隠すこともありません。友だちもまた、そのことを知っていますが、からかったりいじめたりする人は誰一人いません。
 しかし、先日、水俣の中学校のサッカー部が練習試合中に、相手チームの選手から「さわるな、水俣病がうつる。」と言われたという記事が新聞にのっていました。今でも、こういう風に思っている人がいるのかと思うと残念で仕方ありません。何気なく言った一言だったのかもしれませんが、その一言は、私たち水俣に住む者にとって、非常に悔しく悲しいものでした。
 小学校の総合的な学習の時間で水俣病について学習しました。原因となった会社を訪問したり、患者の方から当時の話をきいたり交流も行いました。そんな中で、苦労されたり、何も言えずに黙って亡くなった人のことを知り、水俣に住んでいながら何も知らなかったことをはずかしく思いました。水俣病について、しっかり学び正しい知識を得ることが差別や偏見をなくすのだと気付きました。
 中学校の道徳の時間では、ハンセン病について学習しました。これも水俣病同様、正しい知識がなかったためにおきた、悲しく悔しい悲劇でした。私たちが差別や偏見をなくすためにできること、それは、その人、その出来事についてしっかり知ること、知ろうと努力すること、正しい知識を深めるために学習することではないかと思います。そうすれば、水俣病やハンセン病のように、むやみに人と人とが傷つけあったり、憎しみあったりすることはなくなるのではないでしょうか。
 先日、テレビで水俣のダイバーが紹介されました。その人は、本当はほこりたい水俣を心の中にじっとしまいこみ、誰にも言えず、何年もの間、生きてきた人でした。しかし、水俣の地にもどり、自分は、このすばらしい美しいふる里を紹介したいと海にもぐり、写真をとり続けておられるそうです。心に差別という、深い傷を負いながら、水俣の再生を皆に知らせたいと頑張る人がいることに感動しました。
 今、水俣はごみの分別、リサイクル事業など市民全員で環境にやさしい町づくりをすすめています。私は、差別や偏見から立ちなおり、再生しようと環境問題に一生懸命とりくんでいるふる里、水俣をほこりに思っています。水俣では運動会等、多くの行事で「水俣ハイヤ節」というものが踊られます。これは、水俣病の患者の方が水俣の青い海と豊漁を願って振りつけをされた踊りだそうです。私たちと同じ思いをする人が二度とでないことを祈りながら、私たちは毎年皆でこの踊りを踊ります。
 水俣の悲しい過去を変えることはできませんが、私は、あやまちを二度とくりかえさないために、この美しい自然を守り、真実を語り継いでいきたいです。そして、差別や偏見のない社会になるよう、自分から努力していきたいと思います。

 井上さんは、「ハンセン病も水俣病同様、正しい知識がなかったためにおきた、悲しく悔しい悲劇だった。自分たちが差別や偏見をなくすためにできることは出来事についてしっかり知ること、知ろうと努力すること、正しい知識を深めるために学習することではないか」と訴えています。それにより、「水俣病やハンセン病のように、人と人とが傷つけあったり、憎しみあったりすることはなくなるのではないか」と述べています。
 井上さんが記しているように、学校では水俣病について学んでいるのです。原因がわからず奇病とか伝染病とか言われて差別されていたこと。チッソ水俣工場の廃液が原因である公害と認定されたこと。公害のない環境に優しい町づくりが大切なこと。水俣市はその先頭に立って環境問題に取り組んでいることなどを。にもかかわらず、「さわるな。水俣病がうつる。」と発した子は水俣病について正しく理解していなかったのです。だから、このような言葉が出たのです。井上さんはこのことを「正しく学び、正しく理解し、判断・行動することの大切さ」を私たちに訴えています。
 小・中・高校生は、学校における人権学習によって豊かな人権感覚を育んでいます。地域社会では、市町村の人権同和教育推進協議会を中心として、人権啓発を進め人権意識が高まってきています。それでも、人権問題が解消したとは言えません。なぜ、差別や偏見がなくならないのでしょうか。
 私たちはものごとを先入観にとらわれたり、色眼鏡で見ていることが案外多いと思います。
 突然ですが、レジュメの空いているところに魚の絵を描いてみましょう。
 (左を向いている魚を描いた人に描いてもらう)

 (A子さんが描いた魚)

 A子さんと同じように左向きの魚を描いた方、手を挙げてみてください。(ほとんどが挙手)
 右向きの魚を描いた方、手を挙げてみて下さい。(5名挙手)
 今私は「魚の絵を描いてみましょう」と言いました。「左向きの魚の絵を描きましょう」「右向きの魚を描きましょう」とは言っていま せん。にもかかわらずほとんどの方が左向きの魚の絵を描きました。
 こんな事が起きるのは一体、どういうことなのでしょうか?(会場から、「料理の時の魚は左向き」という声が聞こえる。)
 そうですね。料理では魚は左向きに出しますね。ある研修会では、板前さんから、「魚は左向きと昔から決まっている」と言われたことがありました。料理に出る魚や、図鑑で目にする魚の絵や写真のほとんどが左向きです。お急ぎでなかったらお帰りに図書館によって魚の図鑑を見てください。8〜9割近くは左向きの魚です。それらを見て、私たちは空気を吸うが如くいつの間にか知らず知らずのうちに「魚の絵は左向き」を学習しているのです。これを刷り込みと言います。5月の鯉幟の絵もほとんど頭は左を向いています。
 牛の姿を想像してみて下さい。色を付けて下さい。お尋ねします。挙手してみて下さい。
 あか牛の人(10名近く挙手)
 くろ牛の人(7〜8名挙手)
 しろくろ牛(多数が挙手) 私も牛といえばホルスタイン種です。家で4・5頭飼っていました。乳も搾っていましたので。
 以前、産山村で尋ねた時は、全員あか牛でした。天草では、くろ牛が大多数でした。天草では以前農耕用にくろ牛を飼っていました。
 私たちは、どうしてこうも牛の姿のイメージが違うのでしょうか?それは、小さい頃から身近に見てきた牛の色が刷り込まれているのです。
 この刷り込みが思い込みとなり、それにマイナスイメージが重なると偏見となることがあります。
 この刷り込みが時として偏見となり、差別につながることがあります。
 「左向きの魚の絵」や「牛の色の違い」は直接差別につながりませんが、「あすこんもんなおそろしか」と聞くことがあります。「怖い目にあったのですか?」と聞くと「自分はおそろしか目にあったことはなかばってんだっでん言いよる。」と返ってきます。自分で真実を確かめもせずに周りが言うからそうだと思い込んでしまう。これが偏見であり、差別をしていることです。
 「部落は怖い」など、根拠のない偏見からつくりだされた間違った社会意識が刷り込まれ、同和地区に対する偏見やマイナスイメージが心の奥底に潜んでいることが多いのです。そしてそれがなかなか払拭されていないのです。これが、社会が作り出した偏見であり、それにもとづく差別です。それによって、苦しみ、悲しみ、憤るなど心を痛めている人がいることを忘れてはなりません。
 ですから、同和問題について正しく学び、正しく理解して、心の奥底に潜むマイナスイメージを払拭することが求められているのです。
 ものごとを正しく学び、正しく理解し、相手の立場に立って判断し、行動することです。
 みなさんは「迷信」を信じますか?
 「朝のお茶に茶柱が立つと良いことがある」と言い伝えられていますね。この言い伝えは、江戸時代、お茶屋さんが売れ行きのよくない二番茶の販売促進のために言ったことが始まりといわれています。でも、茶柱が立つことは滅多にないことですから、つい嬉しくなったり「今日は何かいいことがあるバイ」と思いますね。
 「夜、爪を切ると親の死に目に会えない」という迷信もあります。日本書紀においては爪には霊魂が宿っていると考えられていました。この迷信は、江戸時代、「親からもらった身体の一部を夜切るのは親不孝の始まり」とする儒教の教えに基づいているそうです。今みたいな明かりがないところで爪を切るとつい深爪したり、切った爪が跳んでそれを踏んづけたら痛いなどの理由から言い伝えられてきたものです。
 「夜に口笛を吹くと、蛇が出る。お化けが出る」という迷信もありますね。これは、かつて日本で人身売買が行われていた時代、人目のつかない夜に売買取引を行っていたそうです。売人を呼ぶ合図が口笛だったため、人身売買と間違われないようにするため子どもへの警告が形を変え、「蛇やお化けが出るから吹かないように」とする説があります。
 また、「食べて直ぐ横になると牛になる」という言葉もあります。これは、子どもに行儀作法を教えるためにいわれた言葉でしょう。
 これまで見たのは、生活に潤いをもたせるものやら子育ての戒めみたいなものでしたが、語呂合わせで忌み嫌う数がありますね。
 例えば「4」。これは「死」をイメージするからか病院やホテルなどの部屋番号には「4」はありません。「9」も「苦」を連想するというのであまり好かれません。
 私の家では今も杵で正月用の餅を搗いていますが、私の叔父は「29日に餅を搗いてはならん」と言っていました。「29日に餅を搗くと、苦を搗き込む。一年中苦しむ」と。こんな風習はこちらではどうですか?(うなずく人有り) やはりありますか。ところが、福岡県糟屋郡粕屋町では、29日に餅を搗くそうです。それは29を「フク」と読んで「幸福を搗き込む」と考えられているからだそうです。読みようで「苦」にもなり「幸福」にもなる。おかしなことですね。
 キリスト教圏内では「13」が忌み嫌われる数だそうです。これは、キリストが13日の金曜日に磔の刑に処せられたからだそうです。
 また、日本では「黒猫が前を横切ったら不吉」という迷信がありますが、アメリカでは「黒猫が住み着いたら幸運がやってくる」、スコットランドでは「自宅の玄関先に見知らぬ黒猫がいたら繁栄がもたらされる」と思われているそうです。
 同じ黒猫が、国によってこうも思われ方が違うのはおかしなことです。
 皆さんの中で、カラスについてプラスイメージを持っていらっしゃる方、挙手して下さい。(挙手無し)
 マイナスイメージを持っている方は?(大勢が挙手)
 私も皆さんと同じでカラスに対してマイナスイメージを持っていました。小さい頃、田んぼ一面にカラスが舞い降りて落ち穂などを突いているのを見たりカラスの鳴き声を聞くと、「今日は良かこつは無かバイ」などと言っていました。
 皆さんは野口雨情が作詞した「七つの子」という童謡を歌った記憶があるでしょう。


        七つの子
                    野口雨情

  烏 なぜ啼くの   烏は山に
  可愛い七つの   子があるからよ
  可愛 可愛と    烏は啼くの  
  可愛 可愛と     啼くんだよ
  山の古巣に      行つて見て御覧 
  丸い眼をした    いい子だよ

 野口雨情はなぜ詩の題材として、カラスという鳥を選んだのでしょうか。
 黒い鳥であるカラスが鳴くと、不吉な事が起きるという古来からの迷信があり、そのためカラスは「不吉な鳥」として嫌われてきました。そのカラスの鳴き声を、子煩悩な親鳥の呼び声として表現したのです。「黒い色=不吉」と決めつけていることのおかしさを私たちに訴えているように思います。
 雨情の心情に思いをはせながら、全員で歌ってみましょうか。会場にとても歌が上手な方がおいでです。音頭をとってもらいます。では、どうぞ。
♪♪ 烏 なぜ啼くの   烏は山に    可愛い七つの  子があるからよ
    可愛 可愛と    烏は啼くの   可愛 可愛と  啼くんだよ
    山の古巣に    行つて見て御覧 丸い眼をした  いい子だよ ♪♪
 ありがとうございました。
 第6回女子ワールドカップで見事優勝したなでしこジャパンに対するアナウンサーやリポーターの質問のほとんどが、「結婚したいですか?」「彼氏はいますか?」「将来は子どもが欲しいですか?」でした。
 これらの質問から、「サッカーは男性のスポーツ」「女性のゴールは結婚」などの価値観が見え隠れします。
 監督へは「女性だけのチームをまとめるのは大変でしょう?」でした。この質問を真に受けるなら、「女性ばかりの集団は大変な集団」ということになります。社会に長い間存在した価値観や刷り込まれた価値観を、自分では「おかしい」と気づかないことがあるのですね。この自覚なき価値観は時には刃となって人を傷つけることがあります。
 「今日は合志市の人権教育研究大会がある。何の日だろう」とカレンダーを見て来た方いらっしゃいますか。私は見て来ました。今日は大安です。
 日頃は何にも意識しないのに、結婚式だ、葬式だと言うときに「今日は何の日?」が意識されるのが六曜です。「結婚式は大安がよかばい」だとか「葬式は友引の日はいかんばい」などと言いますね。
 私の義母が亡くなったとき、葬儀社に葬儀一切を頼みました。そのとき、葬儀社の人がノートをひろげて、「一般的に、今晩が仮通夜、明日の晩が本通夜、そして明後日が葬儀です。明後日は友引です。お寺さんからは、六曜の考えは寺の教えと関係はないといわれています。どうされますか?」と聞かれました。
 私たちは、六曜の考えは信じていませんので友引の日に葬儀を済ませました。どうってことありませんでした。
 六曜とは、いったいどのようなものでしょうか?また、六曜の風習と人権問題はどんな関係があるのでしょうか?これについては、昨年の記念講演で、西光寺副住職、清原髏驍ウんも触れられました。
 私たちはいま、7日間という週を単位として生活していますが、昔の日本には週はありませんでした。そこで、上旬・中旬・下旬と10日単位を用いていましたが、これでは細かい1日単位の表現が不自由です。そこで、6日を1周とした周期を作りました。それが先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口で、六曜と呼ばれるものです。
 これは、足利時代の末期に中国から伝わった時刻の名前を日に転用したものです。旧暦の1月と7月の1日は先勝、2月と8月の1日は友引、3月と9月の1日は先負、4月と10月の1日は仏滅、5月と11月の1日を大安、そして6月と12月の1日を赤口と決めました。ですから、月によっては六曜が途中で終わったり、ときには大安が2日続くという場合も出てきます。
 このようにして定められ、機械的に暦に記入された文字を見て、知性を持った現代の人間が、日が良いとか悪いとか言って心配しているのは、何とも滑稽なことだと仏願寺住職であった高千穂正史さんは述べています。
 「徒然なるままに、日暮らし硯に向かひて、心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく書きつくれば、あやしうこそもの狂ほしけれ」は、高校生の頃勉強した徒然草序段の文です。
 この徒然草の作者、吉田兼好は鎌倉時代に、「物事の良い悪いは、心の問題で、日柄とは関係ない。日が悪いなどいうことはおかしな事」と述べています。
 資料につけています徒然草第九十一段を見てください。
 「赤舌日といふ事、陰陽道には沙汰なき事なり。昔の人、これを忌まず。この比、何者の言ひ出でて忌み始めけるにか、この日ある事、末とほらずと言ひて、その日言ひたりしこと、したりしことかなはず、得たりし物は失ひつ、企てたりし事成らずといふ、愚かなり。吉日を撰びてなしたるわざの末とほらぬを数へて見んも、また等しかるべし」「吉日に悪をなすに、必ず凶なり。悪日に善を行ふに、必ず吉なりと言へり。吉凶は、人によりて、日によらず」と綴っています。現代語訳を付けていますので後で読んで下さい。
 このように科学的根拠のないものを「皆が言うから」「世間が言うから」と何の疑問も感じないまま信じることはおかしな事です。
 「自分は差別していないが、世間が・・・」という言い方は、部落差別を始めさまざまな差別の際に、口にされてきました。「六曜は迷信であり、偏見にしばられることのない生き方をしていこう」と、一人ひとりの意識が変わることによって、世間の常識は変わっていくものです。迷信に頼る生き方ではなく、事実を知る生き方をしていくことが大切です。「そんなことにいつまでこだわっているの」と言えるよう、私たちの意識を高めていこうではありませんか。
 レジュメに示していますいくつかは、触れることができませんでした。終わりに、記念講演で話された自尊感情について少し触れます。自尊感情とは、ありのままの自分を価値ある存在として大切にすることだと思います。誰もが、それぞれに存在価値を持っています。
 私たちが小さい頃歌った「チューリップ」の歌も同じようなことを表しています。
 歌詞を読んでみます。


       チューリップ
               近藤宮子

    さいた さいた
    チューリップの花が
    ならんだ ならんだ  
    赤 白 黄色   
    どの花みても 
    きれいだな

 この歌は、東京都世田谷区に住む近藤宮子さんという方が、昭和5年に作詞したものです。「どの花みても きれいだな」という歌詞について近藤さんは、「なにごとにも良いところがあるものです。とくに、弱いものには目をくばりたい、という自分の思いをこめました」と語っています。
 また、「みんなちがってみんないい」と謳ったのは金子みすゞです。皆さん、一緒に読みましょう。


       わたしと小鳥と鈴と   
                      金子みすず

     わたしが両手を広げても   
     お空はちっとも飛べないが
     飛べる小鳥はわたしのように
     地べたを早くは走れない
     わたしが体をゆすっても  
     きれいな音は出ないけれど
     あの鳴る鈴はわたしのように
     たくさんな歌は知らないよ
     鈴と小鳥と それからわたし 
     みんな違って みんないい

 人権が尊重されることが大事なのは、誰もが「みんなちがってみんないい」、「自分はこの世に存在していていい」、「この世に生きる値打ちを持っているんだ」と思える社会づくりにつながるからです。
 誰かが見守ってくれている、誰かが寄り添ってくれているという肯定的な「つながり感」が実感できる合志市、そして教育長の言葉にもありました人権文化の花咲く合志市になりますことを祈念して話を終わります。
 ご静聴ありがとうございました。


                                   参加者 感想

○3編の作文は初めて知り、感動を受け、知識を正しく理解する大切さを改めて認識した。

○わかりやすい内容の中にも有意義な人権に対する講話でした。とてもためになりました。

○普段の生活の中で、刷り込み これは〜であると思っていることが多い。なにげないことなのに、いつのまにか偏見、差別を分からずに行っていることが多いので正しい知識を正しく理解し、相手の立場に立って行動したいと思った。

○具体的に話されたのでとてもわかりやすかった。

○魚取り(魚の絵では大多数が左向きの魚を描く)のたとえは改めてなるほどと思った。

○記念講演と同様わかりやすく感動的なお話でした。

○正しく学び、理解し、相手の立場に立って考えることはとても大切と思う。そして、行動に移すこと。

○人、物の見方を一方からだけでなくいろいろな面から見るようにします。マイナスをプラスに。

○面白くてためになりました。ありがとうございました。

○これからも自分らしくいきがいを持って楽しく生きることを再認識させられた研修会でした。

○大変わかりやすいお話で非常に良かったと思います。

○身近なところからの偏見・差別をしていた自分に気付かされる分科会でした。魚の絵は本当に納得です。

○大変わかりやすい内容でした。ありがとうございました。講師の方の説明も良かったと思います。たくさんのことを気付かせていただきました。

○改めて確認できたことなど、とても話が上手で勉強になりました。

○人の考えは知らず知らずに刷り込まれていることが分かって良かった。

○いろいろと学ぶことがありました。特に刷り込みについて。

○資料等が添付されておりよかった。

○全体会と同じような内容だった。

○特に新しい内容はなく物足りない気がした。何でも人権にこじつける感じがした。