秋田LD・AD/HD親の会「アインシュタイン」
発達障害?LD? AD/HD? アスペルガー? それはなんですか

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子供ハテナ
発達障害?
発達のバランスが他の人と違っているために「困っている」人です。

LD?
知的な発達がアンバランスなために、知的能力は高いのに、
それを発揮できないでいる人のことです。日本語にすると学習障害
(Learning Disabilities )
と言われています。
様々なタイプがあり、みんな同じ特徴を示すわけではありません。
海外ではデスレクシア(読字障害)が有名です。(読むのに時間がかかります。)
俳優のトム・クルーズや映画監督のスピルバーグは本人がデスレクシアと公表しています。

AD/HD
注意の集中が難しかったり、気が散りやすかったり、じっとしていられなかったり、
思った瞬間に行動にでたりすることが、発達レベルに比べて多い人のことです。
注意欠陥・多動性障害(Attention-Deficit/Hyper-activity Disorder)の略です。
・バスや電車では、次の駅(停留所)の連絡の放送が雑音に紛れてしまうので、放送だけに
注意をはらう必要があり、乗車中に本を読むことなどできないという人もいました。

アスペルガー症候群? 高機能自閉症?
他の人の気持ちを理解するのが苦手だったり、他人とのかかわり方が苦手だったりする
人のことです。
場の雰囲気を読むのが苦手だったり、言葉を額面通りに受け取ったりします。
「知能の遅れ」がないと、苦手であることが周囲から理解されにくく、かえって
大変な場合もあります。
・小学校の国語の時間に「たんぽぽの気持ちを書きましょう」と言われて、「たんぽぽの
気持ちなんか分からない!」と言った子もいました。

発達障害?
「知能の遅れはない」のに発達の「偏り」や「歪み」があることです。
LDやAD/HD、自閉症スペクトラム(自閉症・広汎性発達障害・高機能自閉症・アスペルガー障害)を
まとめて考える場合に使います。
細かな定義は専門家に任せてしまいましょう。
少し変わっていて、そのことで「本人が一番困っている」人たちです。
周囲の適切なフォローがあれば、本人も周囲も楽になることができます。
(しばらく前までは「軽度発達障害」と表記されていました。
軽度」と書いてあっても、本人の大変さが「軽い」わけではありません。
 最近は「軽度」を付けず、「発達障害」と呼ぶことが普通になっています。)

発達の「偏り」や「歪み」は程度問題で、誰にでもあります。
昔から良く知られている自閉症の世界では、「自閉症スペクトラム」という考えが
主流となっています。「自閉症者」といわゆる「健常者」が別々に存在するのでは
なくて、そのような傾向が連続的に分布しているという概念です。
多分、LDやAD/HDも「LDスペクトラム」、「AD/HDスペクトラム」と
考えた方が現実に合うでしょう。
みんな「苦手なところ」を持っています。
LDやAD/HD等の人は特別な人ではないのです。

イジメ この人たちは、できることと、できないことの差が大きいため、
「なまけている」等と誤解を受けやすかったり、不器用だったり
するのをからかわれたりして、小さいときから傷ついている
場合があります。

この人たちが本当に困っていることは、「本来の苦手なこと」よりも、
困っていることを理解されない非難されてばかりいることです。

毎日、「親から」「先生から」「同級生から」「同級生の親から」非難され続け、
否定され続けることを想像してみてください。
あなたはそのような環境で平然としていられますか?
「普通」の人はそのような環境では、自分を守るために嘘をつくようになったり
不信感から人の話を聞かなくなったり、自信を無くしてやる気がなくなったり、
非難に耐えきれずにパニックに陥ったりします。 これが二次障害です。
非難され続けたり、否定され続けたりしなければ、そのようなことは起こらない
ですんだはずです。
「二次障害」は「周囲が作っている障害」です。
周囲が適切な対応をすれば二次障害は無くすことが出来ます。
ただ、自信をなくしてしまった人が再び自信を取り戻すのには時間がかかります。
「二次障害」を引き起こさないような周囲の対応が大切なのです。

平成24年に文部科学省が発表した全国調査では小中学校の通常学級に在籍する約6.5%
児童生徒が「学習面」や「行動面」で特別な支援が必要とされています。
(1クラスに平均して2から3人の特別な支援が必要な人がいることになります。)

『障害』について
「『できない』ことがある」ことが直接「障害がある」ことではありません。
障害かどうかは、『環境』が大きく影響するのです。

例えば、『方向音痴』の人は、普通の生活では、知らない場所を歩く時や、
駐車場で車を探すとき等に不便を感じているでしょうが、通常は「障害」とは
考えられていません。
しかし、もし、『方向音痴』の人が「マタギ(猟師)」で、道のはっきりしない
山の中を歩き回らなければならないとしたらどうでしょう。
この場合は「不便」を通り越して、「命」まで危険になるでしょう。

また、日本では、視力が「1.5」あれば「目が良い」と認められますが、
アフリカのサバンナの話を聞くと、現地の人達は、日本人が双眼鏡で見なければ
見つけられないような遠くの動物を裸眼で見つけることが出来るそうです。
動物に襲われないように、また、動物を狩るために、遠くから動物を発見する
ことが生活するうえで必要なので、サバンナに行けば、日本人は大半が双眼鏡と
いう「補助」がないと生活が困難な人になってしまいます。

「近視」の人は「障害者」という自覚があるでしょうか?
「近視は直りますか?」と眼科医に訊けば、「直りませんよ」と答えが返って
きます。
遠くを見ることが「できなくて」「直らない」のに、一般的には牛乳瓶の底の
ような眼鏡をかけている人も「障害者」とは見なされないのです。
『眼鏡』という文明の利器(?)があれば、多少不便でも、遠くを見ることが
できるのです。

『環境』が違えば、求められる『能力』も違うので、「できないこと・苦手なこと」が
あっても、それが問題になる場合もならない場合もあります。
『環境』を変えれば、「できないこと・苦手なこと」もあまり不便に感じないように
できるかもしれません。

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