ダム計画中止顕彰の碑文(全文)
関東屈指の清流と豊かな自然に恵まれたこの地域は、古来村人から東沢と呼称され、医術や村政にて村人のために尽くす等、心美しき多くの先人を輩出した地区として尊敬されていた。
明治から昭和初期にかけては村を代表する養蚕の産地であり他方、林業においては二宮尊徳翁をはじめ栃木県林業技士・新野次郎を師と仰ぎ植林に精魂を傾け、村人の信望厚く村の誇りとして昔から語り継がれた地域であった。
時に昭和48年、栃木県土木部は此処東沢に東大芦川の名を付し、ダム建設を計画した。地域住民の衝撃は大きく、言葉として言い表せるものではなかった。しかし、伝えられるところによれば、東京都の水不足解消のための思川開発事業南摩ダム造成の補完ダムと聞き、純粋な先人は同胞とともに生きるためならば、と悲しみの中にも何の反対もせずに静かにこの世を去って行った。
時は流れ世は平成に入り、水に目安をつけた東京都は思川開発事業より撤退していった。この時点において、ダム計画は見直しされるものと期待されたが、平成5年鹿沼市の水道として栃木県との間に協定が結ばれ、平成8年鹿沼市は空虚の第5次拡張計画を立て、ダム推進の構図が整いつつあった。
この推移を静かに見つめていた西大芦漁業共同組合の男たちは「ダムありき」のみの計画に不信を抱き、2年にわたる利水治水環境等厳正な精査検討と再度の世論調査を踏まえ、利権のみのダム計画と断定し、平成11年3月総代会に於いてダム建設反対を議決した。
まさに郷土を愛する山の男たちの断乎たる決意の結集であった。これに呼応した村の中堅層はこの年11月、大芦川清流を守る会を結成、ダム建設に反対する気運は日ごとに高まり、翌平成12年11月、働き盛りの竹澤正之自治会協議会長を陣頭
に東大芦川ダム建設反対同盟を結成、地域の総力を上げてダム建設阻止に立ち向かい、立木トラスト・土地トラスト運動も宇都宮大学名誉教授藤原信の助言をうけ、大貫林治、大貫孝太郎、我妻吉之烝、高村春三郎の資材の提供を受け、県内外に及ぶ参加者を募るに至った。思川開発を考える流域の会、野鳥の会の応援も大きな力となった。
平成12年11月、思川開発事業見直しを掲げた今市市長福田昭夫が栃木県知事選挙に立候補、875票差の僅差にして当選、このことを我らはまさに天命として厳粛に受け止めるに至った。そして知事は7回に及ぶ大芦川流域検討協議会を開催し、平成15年7月31日、東大芦川ダム建設計画の中止を正式に発表、過去30有余年社会不安と混乱を招いたダム計画は幕を引いたのであった。
それはまさしく、一糸乱れず信ずる道を貫き徹した同志達は言うに及ばず、それらの者を言葉少なく、ひたむきに蔭で支えてくれた母方、妻方の長年の労苦が身を結んだ瞬間でもあった。
それにしても「ダムありき」で進められた本事業とは一体何であったのか、今後久しきに亘り流域の歴史が確と示してくれることであろう。
今この地にたたずみて、悲喜こもごもの日々を振り返るとき、報道関係者をはじめ、名も知らぬ数々のみなさまにお世話になり、この自然を破壊することなく後世に渡せたことは唯感無量にして加うるに言葉なし。
そこでわれら有志一同は、培った感謝と報徳の心をこめ、郷土の安泰を念じつつ、この地に顕彰の碑 清流 を建立するものなり。
平成17年11月 西大芦漁業協同組合代表
理事組合長 石原政男撰文