アフリカ史ノート

奴隷交易

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はじめこのページでは、ヨーロッパ人による大西洋横断奴隷貿易の非人間性と、それによるアフリカ社会・経済発展に対する負の影響について書くつもりであった。

しかし色々と調べていくうちに、アフリカ史全体においてはそう単純な話ではないと考えるようになった。

奴隷制度は、世界の各地で、富が集積して政治権力体制が確立した時期から存在したものだろう。世界最初の文明発祥の地といわれるメソポタミアやエジプトで、灌漑による農耕社会が確立し、巨大造営物が作られるようになった時に遡り、少なくとも4千年の歴史があると言われている。しかしほとんどの場合、奴隷の調達先は、自己の社会の中での犯罪者や破産者とその家族、あるいは周辺社会との戦争における捕虜達であった。アフリカのように、千万人単位の人間が商品として域外の市場に「輸出」されたケースは他に無い。

アフリカを舞台とした奴隷交易の、被害者はアフリカ人である。それに対して加害者は、一方的にヨーロッパ人だけだったという訳ではないのが事情を複雑にしている。ヨーロッパ人が大西洋を横断する奴隷貿易を始める数百年前から、アラブ人はサハラ砂漠や紅海を越えて、中近東やインドにまで黒人奴隷を運んで売りさばいていた。そしてアフリカ人自身の中にも、外来の奴隷商人に生身の人間を売り飛ばして富・権力を築くグループがいた。そして現代でも、この大陸上で奴隷問題は終わっていない。

 

サハラ・紅海横断奴隷交易

アッバース朝時代(西暦750-1258年)の傑作「千夜一夜物語」を読むと、黒人奴隷がよく出てくる。イスラム教が成立してからだけではない。ムハンマド(マホメット)の初期からの信徒で最初のムアッジン(祈りへの呼びかけアザーンを唱える人)だったビラールを初め多くの黒人奴隷がイスラム成立時にアラブ社会に存在し、大勢がイスラム教に改宗してジハッドを戦った。

アフリカ大陸におけるアラブ人奴隷交易地域と
ヨーロッパ人奴隷交易地域
The muslim-christian debate web-site: Un Africain Considere L'Esclavage Islamique Iinflige
aux Africains より

イスラム教では、奴隷の存在を否定するものではなく、

 

 

 

 

大西洋横断奴隷交易

ポルトガル人カ・ダ・モスト(Ca da Mosto)は、エンリケ航海王子の支援を受けて、ヨーロッパ人で始めてボジャドール岬を越えて南進し、サハラ以南アフリカへの航海路を開いた。

三角貿易
About.com: History: African History:
The Trans-Atlantic Slave Trade より

 

 

現代の奴隷問題

 

 

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