アフリカ史ノート

地理的条件とアフリカ史

(2004年5月 29日作成)

 

地政学上の偏り

アフリカ大陸を大胆に簡略化すると、スエズ地峡を頂点の1つとし、北は地中海岸、東はインド洋岸、そして南西の大西洋岸を3辺とする三角形として模すことができる。北東の角ではエジプトが世界四大文明発祥の地として古代よりよく知られており、その南にもヌビア、さらにエティオピアが続いている。これらの地域は、ナイル川による自然の恵みを受けていた以外に、メソポタミアやギリシア・ローマ、そしてアラビア半島という外部との交流が盛んであったため、記録が豊富に残っている。

さらに北アフリカは、地中海を通してローマ、そしてその後のヨーロッパやイスラム帝国との交流があり、むしろ地中海文化圏の中に組み込まれていた。サハラ砂漠の南縁のスーダン地域も、サハラ横断交易を通じて比較的ヨーロッパに知られていた。東海岸地帯は、インド洋を介した海上貿易が盛んで、イスラム文化圏にも組み入れられ、そのためある程度記録が残っている。

それに対し、南端の喜望峰まで行くとその先は南極大陸に至るまで大海原以外の何も無く、また大西洋岸沖合は南アメリカ大陸まで遥かに遠く、しかも新大陸南アメリカに海洋を横切る程の技術と必然性を持つ文明は発達しえなかった。このため、三角形の南部分から南西部分にかけては、外部の文明との交流が無く、世界史の中では置き去りにされていたように見える。

単純にユーラシア大陸からの距離が文化文明の発達の大きな要因の1つであると仮定すると、アフリカ大陸では北東に行くほど歴史が豊富となり、西・南に行くほど貧弱となるという結論となる。しかし実際には、ユーラシ ア大陸からかなり離れた南半球にも王国が発達していた。そして、それぞれの王国は孤立して歴史を作っていたわけではない。これら王国は文字で残された歴史を持つ文明の影響下にはなかったが、相互の交流と影響のもとに発達していたものと思われる。

 

気候・植生上の南北対称性

西スーダンのガーナ、マリ、ソンガイ諸帝国、中央スーダンのカネム・ボルヌ、そして東スーダンの諸王国が繁栄したのは、サハラ砂漠の乾燥地帯と赤道周辺の熱帯雨林地帯との間、いわゆるサヘル地帯とも呼ばれるサバンナの、気候が比較的穏やかな地帯である。緯度では北緯10度ぐらいから16度ぐらいまでの間であろう。一方南半球を見てみると、コンゴ王国、ルバ・ルンダ諸王国は、赤道からの距離は北半球のサヘル地帯と比べると近いが、南緯4度ぐらいから14度ぐらいまでの、北は熱帯雨林地帯、南はナミブ・カラハリ砂漠の乾燥地帯に挟まれた、やはりサバンナ地帯である。

これら南北のサバンナ地帯の諸王国に共通した特徴は、交易による繁栄があったということである。北半球のサバンナ王国はサハラを越えて南北通商を行っていたのに対し、南半球のサバンナ王国の場合は砂漠の向こうに交易相手がいなかったが、もっぱら東西を結んだ交易を行っていた。

ところで、北半球と南半球のそれぞれのサバンナ文化地帯との間に交易関係があっただろうか。両サバンナの間にはコンゴ川流域の熱帯雨林が横たわり、密林に覆われ、常に湿度が高く、川で至る所寸断されて、気候的にも地形的にも健康面でも人が生活するにはあまり適さない土地であった。両文化圏間での交易の存在の証拠は今のところ発見されたという記録は無い。しかし南半球のサバンナを支配し繁栄したバンツー人の発祥の地は北半球のニジェール・ベヌエ川合流地域近辺だと言われており、第二の故郷であるコンゴ川流域熱帯雨林地帯は、人が住むには適していなくても、移動や物資運搬には意外と便利だったのかもしれない。

 

地勢上の東西非対称性

諸王国の分布は、上記のように赤道を軸として南北の対称性を見出すことができるが、東西となると対称性はまったく崩れてしまう。アフリカ大陸の西には大きな起伏の波は無いが、東には大地溝帯が南北に走り、それに沿って高地が連なり、気候と植生に変化を与えている。

特にコンゴ川流域熱帯雨林地帯の東は標高1000メートル以上の高地となり、赤道直下であっても植生・居住環境の良い地帯となっている。ここには西と南からバンツー人が移住して農耕生活を営み、北からは遊牧を生活の基盤とするナイル人も移動して、これら文化が融合してブニョロ・キタラやブガンダなどの王国が栄えた。エティオピア高原には独立とキリスト教を守り通したエティオピアの諸王朝があり、南半球のジンバブエ高地には石造物を基礎とするグレート・ジンバブエ文化が築かれた。

このようにアフリカ大陸の東には、サバンナの商業文化圏とは違った文化圏が、南北に伸びた高地帯上に形成された。

 

気候の地史的変化

現在地球上で最大の乾燥地帯であるサハラ砂漠は、太古の昔には草原が広がり、湿地もあって、動物の繁殖に適した土地であった。その証拠は、タッシリ・ナジェール山地(Tassili N'Ajjer;現アルジェリア共和国南部)に遺された動物や人々が描かれた壁画に見ることができる。

タッシリ・ナジェールに人々が壁画を遺し始めたのは、紀元前6000年頃からのことらしい。そして紀元前2000年頃からサハラ地域の乾燥化が始まり、砂漠は拡大していった。サハラに栄えた文化文明は完全に砂に埋もれてしまい、そこに住んでいた人々は北と南とに分かれていった。

サハラ地域でこのような大きな気候の変化があったということは、他の地域でもそうだったに違いない。サハラでは気候の変化により居住環境が悪化したが、その周辺では逆の変化もあり、文化が繁栄する環境が整えられたのではないだろうか。また、現在雨量が多くて熱帯雨林に覆われている赤道周辺の西部地域は、かつてはどうだったのだろうか。残念ながら筆者にはそれ以上の知識が無い。

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