他に奉仕し、仕えていく慈悲の行動を、人生の生き方として選んだ人を菩薩と言う
人は「生きる力」が衰えていくと、自分だけの世界に閉じこもりがちになる。
さらに悩み事が生じると、自分のこと以外何も考えられなくなってしまい、自分の苦しみにとらわれてますます「生きる力」を失っていく。
こうした生命力が弱まった社会を根底から変えていく行動が、仏法で説かれた「慈悲の行動」
慈悲
「慈」とは、他に楽しみを与えることであり、「悲」とは、他の苦しみを抜くこと。
「慈悲ほど強いものはない」
「真実の友情」をもって、他者にはたらきかける慈悲の行動こそが、内に閉じこもった生命を宇宙に開いていく。
人間の生命のリズムは、宇宙のリズムに調和してはじめて生きている喜びを感じ、その歓喜がさらに生命力を高めていく。
自分以外の誰かのために生きようとする行動こそが、人に「生きる力」を与えていく。
人の生命を拡大した分だけ、自分の生命も拡大する。
自分を大切に思えないことが、他人を大切に思うことを難しくしている。こうした不幸の連鎖によって、現代人は新鮮な驚き、感動、そして大いなるものへの畏敬の念を失っていき、なにも体験しないままに生きていく。
その無感動が、他人への無関心を加速して、さらに人間の生命は小さいものへ、より小さいものへと閉じ込められてしまっている。
より大きくより強いものに、人間の生命を変えていく方途を説いたのが法華経である。
生命力が強くなれば、小さな悩みを乗り越え、より大きな悩みに挑戦することができる。
仏とは生命のことなんだ!生命の表現なんだ!
法華経とは、民衆救済のために末法での仏法流布を託した”授記”の書だったのだ。
「僕の一生は決まった!この尊い法華経を流布して生涯を終わるのだ」
戸田城聖
個人指導
戸田は、相手の生命の傾向性の本質を鋭く見抜いていた。
子育てや夫婦関係で悩む人には、母親が変われば子供が変わる。妻が変われば夫が変わると。
悩みの原因は、結局は自分自身にあることに気づかせるまで、こんこんと指導を続けた。
いわれなき差別に悩む人には、ご本尊の功力を心から信じられるようになれるまで言葉を尽くした。
個人指導は、その人を救わずにおくものかという、戸田の真剣勝負だった。
それは、まさに自分の生命を削る行為でもあったのだ。
難
難が来たら喜べ!
その時が信心のしどころであり、宿命転換のチャンスである。
仏法は百発百中の「変毒為薬」の大法である。
たとえ失ったものでも、元の十倍、百倍の功徳となって取り返せるのだ。
戸田城聖
時にあい、時にめぐりあって、その時にかなうということは、生まれてきたかいのあるものであります。
広宣流布の仏勅を受けているということは、何にもました私の喜びであります。
戸田城聖
信心も平坦な道ばかりをゆっくりと歩いていては何も変わらないよ。
大きな苦難があるから大きな宿命転換ができる。人間革命ができるのではないか。
行き詰まりを感じたならば、大信力を奮い起して自分の弱い心に挑み、それを乗り越え、境涯を開いていくことだ。
それが我々の月々日々の「発迹顕本」である。
戸田城聖
信仰は言語に絶する歓喜を以て
「ほとんど60年の生活法を一新する」ほどの変化をもたらした。
「暗中模索の不安が一掃され、生来の引っ込み思案がなくなり、生活目的がいよいよ遠大となり、畏れることが少なくなり、国家教育の改造を一日も早く行わせなければならないというような大胆なる念願を禁ずるに能わざるに至った」
牧口常三郎