一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり (P.189)

他宗所依の経は一分仏母の義有りと雖も然も但愛のみ有って厳の義をかく。天台法華宗は厳愛の義を具す。一切の賢聖・学・無学・及び菩提心を発(おこ)せる者の父なり(P.215)

法に依って人に依らざれ(P.219)

過去の因を知らんと欲せばその現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せばその現在の因を見よ(P.231)

詮ずるところは天もすて給え、諸難にもあえ、身命を期とせん。・・乞眼のバラモン・・・悪知識に値うゆへなり。善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし。大願を立てん・・・我日本の柱とならむ・・・ちかいし願やぶるべからず。(P.232)

彼の貧女の梵天を求めざれども梵天自ら至るが如し。(P.233)

我並びに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば自然(じねん)に仏界にいたるべし。天の加護なき事を疑わざれ、現世の安穏ならざる事をなげかざれ。我が弟子に朝夕教えしかども疑いを起こして皆すてけん。拙(つた)なき者のならひは約束せし事をまことの時はわするるなるべし。(P.234)

無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前(さき)とす安楽行品のごとし。邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし(P.235)

我が父母を人の殺さんに父母につげざるべしや、一子の重病を灸(やいと)せざるべしや。日本の禅と念仏者とをみて制せざる者はかくのごとし「慈無くして許(いつわ)り親しむは即ち是れ彼が怨(あだ)なり(P.237)

日蓮は日本国の諸人にしうし(主師親)父母なり

日蓮が流罪は今生の小苦なればなげかしからず、後生には大楽をうくべければ大(おおい)に悦(よろこ)ばし