蓮写真専科「蓮の幻想」ホームページより転載

  

・・・まず仏教における仏の座としての「蓮華座」は余りにも有名であり、仏教美術に至っては多種多様に描かれ表現されてきました。仏教の真理の一つに「因果倶時」というものがあります。原因と結果は倶時であるという真理になぞらえて蓮の性質・特徴を取り上げた比喩があります。普通の花々は開花して受粉され、そして実を結ぶという時間差がありますが、蓮は開花と同時に実が成る(花果同時)、つまり原因・結果が倶時であるという事実が、仏教の説く真理に符合するとして、真理の象徴として重要視されてきたものです。更に又、真理の行いとしての譬えに使われる「如蓮華在水」という言葉があります。これは『妙法蓮華経』に説かれている有名な教えで、蓮は泥中より生まれ出て、しかもその泥にも染まらず、清浄で無垢な美しい華を咲かせるところから、人間の生き方そのものを説く教えとして比喩されているものです。


蓮の花というのは人間よりも調和度がはるかに高い。
蓮を選択している原子核の集合体(EXA PIECO)はいつでも、地球から離れて時空間移動できる状態まで成長している原子核の集合体なのです。
蓮の後は他の星へ移動している可能性が強いのです。・・・クジラは金星から、イルカはプレアデス星団から、オットセイはカシオペア座の星からそれぞれテレポーテーションした動物で、地球で発生した動物ではありません。
                                 「波動の法則」P.225(著者 足立育朗)より


そもそも「妙」とは、どのような意味であろうか。それはただ、自身の一念の心が不思議であることを「妙」というのである。不思議とは、私たちの心の働きも及ばず、また、言葉でも表せないということである。
すなわち、瞬間瞬間起こっている自身の一念の心を探究してみると、それを有ると言おうとすれば色も形もない。また、無いと言おうとすれば様々に心が起こってくる。有ると考えるべきでもない。無いと考えるべきでもない。有と無の二つの言葉では表せず、有と無という二つの考えでも理解できない。
有と無のどちらでもなく、しかも、有か無かのいずれかの姿をとるという、中道にして普遍究極の真理のままの姿であり、不思議であるその在り方を「妙」と名づけるのである。
この「妙」である心を名づけて「法」ともいうのである。
この法門の不思議を譬喩で表すのに、具体的な事物になぞらえて「蓮華」と名づける。
                                「日蓮大聖人御書全集 一生成仏抄(通解)」より