「前世」(著者 浅野 信)より引用

カルマとは、インドのサンスクリット語で、「行為」を意味します。
通常カルマという場合は、
  @行為そのもの
  Aその行為の後に及ぼす影響
  B行為の原因とそれによって出てくる結果との因果関係
この3つをカルマと規定しています。
・・・
<カルマの意義>
カルマとは、自分のした行為によって、将来の自分の在り方を決めていくことです。それは、ごく自然な作用反作用の法則であり、鏡の原理とも言えます。そして行われたカルマとその結果が表れ出る時期との間に、ある一定の隔たりがある時、そこに輪廻転生が生まれます。一回の生涯の間に、カルマの結果がすべて表れるとするならば、何も別の生、次の生を想定する必要はありません。けれども、行為の原因と結果との間に隔たりがあったとしたならどうでしょう。しかも、そもそも次の生をもたらすことになる原因が前世のカルマそのものであるとするならば、転生の背景というより、その原動力にカルマが認められるということになります。
単に生まれ変わるというだけでは、あまり意味がありません。けれどももし、ただ生まれ変わるのでなく、生まれ変わりは進化をめざして行われ、魂を成長させる有力な手立てである、ということであれば、大きな意味が生まれます。さらに、カルマそのものが次の性をもたらし、はっきりとした因果関係がそこにあるとするならば、転生に注目する価値はあります。
すなわち、前に行われたことがそのままでは終わらず、その人自身の性格、気質、傾向、体質、能力ばかりではなく、運命、環境、境遇、今の課題、さらには可能性、職業・・・などまでも規定し、あるいは方向づけているとしたら、転生とカルマとは、非常に現実的で大事な問題提起をしていることになります。そして、そこにこそ輪廻転生とカルマとを究明し、今後人類のために役立てていくという意味があります。
<カルマの性質>
行われたことがそのままでは終わらず、後に結果を表すという以上、それはどこかで存続しているはずです。
カルマは表れ出て現象化し、結果を出すことによって完結を見、目的が遂げられ、解消する性質があります。しかしそれに囚われると、またエネルギーがそこで使われ、新たなカルマを作り出していくことになります。行為を為すと、その生命のエネルギーが動きます。その余波は周りにも及びますが、本人自身の中にも習性として残り、その個人の基になる一番根源の心身に生命エネルギーとして蓄積されていきます。
<転生説の前提となるもの>
一つの人生が終わる時、肉体は朽ち果てます。霊界の存在を想定しないと生まれ変わり説はあり得ないのですが、そればかりではなく、人が肉体だけの存在であるとするならば霊界に行きようがありません。転生説は、肉体と心、意識ばかりではなく、人間とは多重次元の構造である、という前提に基づきます。霊界は存在し、不滅性を持つという前提です。
<人間の多重構造>
一番基になるその個人の心身は「原因身」といわれ、インドの言葉では、「カラーナ」あるいは「コーザル」と呼ばれています。人間は、この「原因身」が基になって、感情を主とするアストラルの精妙な心身(微細身)を形成し、さらに、その物質化した現れとしての肉体と、肉体に付嘱する心があるという三重構造をとっています。そして、その3つの心身をまとめているのが、自我です。
人は誰でも、肉体、微細身、原因身、の三重の心身を持ち、それらを自我(アートマン)、固我(ジーヴァ)などと呼ばれているその人自身=本体が繋いでいます。
<生まれ変わりのしくみ>
この世では肉体が主ですが、それだけではなく、アストラル体とカラーナ体もあって生きているのです。それに対してあの世に赴く時は肉体はなくなり、原因身と微細身とだけがあの世に行きます。そしてカラーナとアストラルを基にまた生まれ変わってくる時に、それに見合った肉体を顕現させ、転生します。その時、その肉体を創り出すのにぴったりするカップルを両親として受胎します。
そのことと遺伝の法則との間に矛盾はありません。遺伝の法則は、現象レベルでの法則を科学的に説いていますが、その奥には、もっと霊的な法則が働いていて、今の科学では、まだ扱われていない分野です。
<霊の法則>
霊の法則は、現象レベルでの遺伝の法則のつじつまをあたかも合わせるかのように、根底で働いています。ある行為をすると、物理的な現象はその時で終わります。しかし、その影響は残り、カルマの種子として一定のエネルギーパターンをアストラル体に、更に、その個人の根本を成すカラーナ体に刷り込みます。人は、ある意図を持ってエネルギーを使い、行いをするので、それ相応のものが、より奥にある本人の体に影響として留まります。それがあの世に行っても本人の中に伏在し、時期が来ると、それを基として、それを解消するために、見合った肉体を創造し、この世に転生してきます。
そのようにして創り上げられた本人の身体そのものが、カルマ的所産です。そのため、本人の性格、体質、能力、課題、さらには生き方、運命、境遇、職業・・・などまでがカルマによって創造されて出てきます。その意味で、すべては自分が行ったカルマの結果であると言えます。そのカルマが現象化して解消するまで、カラーナ心身(アーラヤ識)がそれを保持しているのです。
<霊的成長>
人間は、カルマの運命の為すがままの存在です。それだけではなく、もっとそれ以上のものが、神から与えられてはいるのですが、実際はなかなかそこから出られず、カルマの因果律の必然性に沿って、あの世とこの世との行き来を繰り返しています。その中で、自分への囚われに落ちているのが実情です。しかし、転生とカルマの法則を学び、それをさらに自分に当てはめて、具体的に自分のものを自覚することによって、囚われから脱し、自分のこれまで作り出してきた制約から逃れる道が開かれ始めます。そのためにこそ、転生とカルマを学ぶことには意義があるのです。