「戸田城聖全集 第五巻 講義編T」 P.473より転載

釈尊の十大弟子の第一で、智慧第一といわれる。阿弥陀経で三十余度も名を呼ばれても成仏できなかったが、迹門方便品の対告衆となり、譬喩品で信をもって成仏し華光如来と記された。王舎城の北の那羅のバラモン族で、目連とともに外道を学びおのおの百名の弟子をもっていた。小さいときから頭が良く、八歳で王舎城中の学者と討論して負けなかったという。釈尊が上道して第二年目に仏に帰依して、その上首の阿羅漢となった。釈尊の死ぬ悲しみを見るに忍びず、釈尊が死ぬまえに故郷に帰り、母を折伏した後に死んだ。釈尊は大いにほめて塔を建てて供養したという。過去世に乞眼のバラモンの責めに耐えかねて、六十劫の菩薩行を退転したことは有名である。
文底からいえば、舎利弗は末法の衆生ということ