撰時抄 創価学会のホームページより転載
建治元年(1275年)日蓮大聖人が54歳の時、身延においてお認めになり、駿河国(静岡県)西山の由井某に与えられた書で、五大部、十大部の一つです。由井氏は芝川と富士川に合流する河合に住んでいた日興上人の外戚にあたります。
佐渡から鎌倉に帰られた日蓮大聖人は、文永11年(1274年)5月、身延に入られました。そして翌建治元年(1275年)に本抄をお認めになります。撰時抄とは「時を撰ぶ抄」の意となります。
本抄は、まず「夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし」と説き起こされ、以下、正像末の三時にわたり、インド・中国・日本の三国にわたって、それぞれの時代、それぞれの国における機感相応の正法を明かしています。
すなわち、インドにおいては正法の初めの五百年に、迦葉、阿難等が小乗教を流布し、次いで正法の後半の五百年には、竜樹、天親等が出現して権大乗教を弘めます。次いで仏滅後千十五年に、仏教は中国へ伝来し、像法の中期には、天台大師が中国において法華経の迹門を広宣流布し、同じく像法の終わりには伝教大師が日本において比叡山に円頓の戒壇を建立します。
仏の予言によれば、仏滅後二千年を過ぎると末法となり、白法隠没の時代となります。この時に、上行菩薩が世に出現して三大秘法を広宣流布し、末法の一切衆生を救うことを示され、大聖人の御出現は、仏滅後二千二百余年にあたり、当時の世相は仏の予言通りであることを述べられています。そして特に真言の邪法を徹底的に破折されながら、末法に寿量品文底秘沈の三大秘法が広宣流布することを明かされているのです。