神智学大要 第1巻 エーテル体 第2章 プラーナ(活力)

宇宙にはただ一つの生命、ただ一つの意識があるだけで、プラーナはこの至高我が活用しているものであり、「唯一者」すなわち神の生命なのである。
こうしてプラーナはあらゆる生き物の生命の息となる。
・・・・プラーナが外へ働きかけるときはアートマーともいわれる。
・・・七大自然力とは、プラーナ、精神、エーテル、地、水、火、風である。
・・・物質階層におけるプラーナとは、活力、物質的微分子、細胞などを調和して働かせ、その全体を一定の有機体としてまとめ、かつ維持するエネルギーである。
それは有機体の裡なる生命の息であり、「一生」と称する肉体の生存期間中に、その存続のために充当するところの宇宙に偏在する「生命の息」の一部分である。
もしもプラーナが存在しなければ、全体として完全にまとまった1個の存在として働く肉体は存在し得ない。
プラーナがなければ、肉体は個々の独立した細胞群の単なる集合にしか過ぎない。
プラーナは「生命の網」に沿って働きつつ、これら個々の細胞を結合して1個の複雑な全体と化せしめる。
ちなみに、「生命の網」は想像を絶する精妙かつ微妙な美しい微光を放つ黄金色の網である。
それはスートウラートマーが伸びたもの、すなわちブッディ質料の1本の糸で造られたもので、その網目の中により粗雑な原子群が組み合わされて形をなしている。
生きている有機体は、すべて例外なくプラーナを吸収しており、プラーナを十分に補給することが、これらの有機体の生存にとって必須条件の一つである。
・・・神経系統の中にプラーナが欠乏すると疲労を来たし、極端な場合は死を招くが、一方有り余っても病や死に至らしめることがある。
・・・アストラル界層のプラーナと物質界層のプラーナが混ざると神経質料ができあがる。これは基本的には細胞であり、快楽や苦痛を感ずる力を与える。
細胞は発達して繊維となり想念が起きる都度、これらの繊維の中でプラーナが脈動する。
このプラーナは物質界層、アストラル界層、および精神界層のプラーナより成る。
物質界層の原子自身の中では、プラーナはその螺旋に沿って走る。
・・・意識する原始の人間より、質料を構築する意識無き存在に至るまでの宇宙におけるあらゆる可視的存在は、すべてこのプラーナという生命体によって造られている。
プラーナの出現によって口の利けぬ者が口を利く、語る者として出現する。
原子もまた1個の生命である。ただし、その意識は第3ロゴスの意識である。
太陽は活力の一大倉庫であり、太陽からこれらの生命の流れが空間をサッと過(よ)ぎり、地上の全生物の体内機構の中を流れている。ブラヴァッキー夫人の「密教」(シークレット・ドクトリン)はこの事実を密教科学の「基本的教理」であるといっている。
神経中枢自体はもちろん「食物でできた鞘」すなわち肉体によって養われるが、プラーナは神経中枢を通じて働き、「食物でできた鞘」を柔順にして高次元の智恵の中に座している「真我」の要求する目的に合致するように「食物の鞘」を造る制御エネルギーである。
ここで大事なことは、神経は肉体の中にありはするが、肉体ではなく、肉体そのものには何ら感ずる力はないということである。
「鞘」にすぎない肉体自身は感ずるのではなく、印象を受け取るだけである。
外体(肉体)は衝撃を受けはするが、それ自体の細胞の中には快苦を感ずる力はない。
肉体の感触はプラーナによって内部に伝えられるので有るが、細胞自体から派生する重い拡散する感じとは全く違う。
こうして肉体の器官に感覚活動を与え、外部の波動バイブレーションを、プラーナの体でもあるエーテル体の次に在るアストラル体の中にある感覚中枢につたえるのは、すべてプラーナである。
このプラーナが肉体の中の神経を走り、神経が外部よりの刺激だけでなく、内部より発する原動力をも運ぶ運び手としての働きを可能にするのがエーテル複体というこの媒体である。