言葉と言うは心の思いを響かして声を顕わすを言うなり。凡夫は我が心に迷うて知らず覚らざるなり。
八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり。(P.563)
心は工(たくみ)なる画師の種々の五陰を造るが如く・・・・心の外に別の法なし・・・一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し。(P.564)
此の五字を以て人身の体を造るなり。本有常住なり本覚の如来なり。是を十如是と言う。此を唯仏与仏・乃能究尽と云う(P.568)
我が大事と思わん人、人の制止候、又大きなる難来るべし。その時すでに此の事叶うべきにやと思しめしていよいよ強盛なるべし。さるほどならば聖霊・仏になり給うべし。
・・・日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りの叶わぬ事はあるべからず。(P.1352)
法自ら弘まらず。人、法を弘むる故に人法ともに尊し。(P.856)
とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓(どっく)の縁となって仏になるべきなり。(P.552)
はたらかさず、つくろわず、もとの儘(P.759)
この漫荼羅を身にたもちぬれば王を武士のまほるがごとく、子ををやの愛するがごとく、魚の水をたのむがごとく草木の雨をねがうがごとく、鳥の木をたのむがごとく、一切の仏神等のあつまり、まほり昼夜にかげのごとくまほらせ給う法にて候(P.1477)
花は開いて果(このみ)となり、月は出でて必ずみち、燈は油をさせば光を増し、草木は雨ふれば栄う。人は善根をなせば必ずさかう(P.1562)
南無妙法蓮華経は師子吼の如し。いかなる病さはりをなすべきや(P.1124)
このやまひ(病)は仏の御(おん)はからひか、そのゆへは浄名経(じょうみょうきょう、涅槃経(ねはんきょう)は病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり(P.1480)
日蓮悦んで云わく本より存知の旨なり(P.910)