菩薩とは・・・

 仏の悟りを求めて修行する人々
 自分の幸福よりも、他の人々の幸福のために、勇気ある実践に励み、その人のためになることをしようとする人々
 他に奉仕し、仕えていく慈悲の行動を、自分の人生の生き方として選んだ人
  (仏典で登場する菩薩として、観音菩薩、文殊師利菩薩、弥勒菩薩、薬王菩薩、妙音菩薩...があるが、「地涌の菩薩」ではない。)

地涌の菩薩とは・・・

  仏の願いは「すべての人の幸福」にある。
 幸福になるには、「悟りを得る」ことにあるが、釈尊の死んだ後に教えを弘めるために後を託したのが「地涌の菩薩」である。
 釈尊は、悟りを得る「ある方法」を地涌の菩薩のリーダーに与えたが、その方法は法華経には書かれていない。
  中国の天台大師は、悟りの内容を「一念三千」という形で体系づけ、瞑想のような方法で自ら実践はしていたが、公開して人に勧めるようなことはしなかった。
  日蓮大聖人は、”法華経の文の底”から「釈尊の真意、真理」を読み取り、「一念三千の法」を文字漫荼羅として顕わし、「南無妙法蓮華経」と唱えていくことで、「すべての人が今世で悟りを得ることができる」と説いた。

  現在(末法)の「地涌の菩薩」とは、日蓮大聖人の仏法を人々に伝え、人々を成仏という「揺るぎない幸福境涯へ導くために活躍する人」で、妙法による 根源的な救済を任務とする人々のこと。「特定の限られた人」ではなく、このことを実践していく人は、全員が「地涌の菩薩」である。


地涌の菩薩

地涌の菩薩とは、法華経涌出品第15で、釈尊が滅後弘通のために大地から呼び出した無数の菩薩をいいます。大地の底から湧き出たので地涌の菩薩といいます。大地の底とは、真理の世界に住していたことを意味します。
この地涌の菩薩の数は六万恒河沙です。「恒河」とはインドのガンジス河のことで、その砂の数を一恒河沙といいます。その一恒河沙の六万倍の菩薩が出現し、しかも、それぞれが無数の眷属(=従者、仲間)を率いているのです。
経典には、釈尊を25歳の青年とすれば、この地涌の菩薩は、100歳の翁に譬えられるほど、仏以上の立派な姿をしていたことが説かれます。
この地涌の菩薩は、久遠実成の釈尊に教化され、”成仏のための根源の法”をすでに所持しており、釈尊と同じ仏としての生命を持ちながら、菩薩の姿で悪世末法に妙法を広宣流布していく使命を帯びているのです。
この地涌の菩薩は、上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩という4人の導師(=衆生を導くリーダー)に率いられています。
そして、上行菩薩らは、神力品第21において、仏の滅後に真実の大法を弘めることを誓います。これに対して釈尊から滅後の弘教を付嘱されます。付嘱とは、未来に法を弘通することを託すことです。
日蓮大聖人は、虚空会の説法の内容全体から、地涌の菩薩が出現する時は、滅後の中でも悪世末法であり、弘める大法とは南無妙法蓮華経にほかならないことを明かされています。


この付嘱通りに末法の初めに、先駆けて南無妙法蓮華経を弘通された日蓮大聖人が上行菩薩にあたります。
また、「諸法実相抄」に「いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや」と仰せのように、日蓮大聖人の教えを信受して、大聖人の御精神の通り広布の実践に励む私たち一人ひとりも、すべて地涌の菩薩であり、末法の御本仏・日蓮大聖人の本眷属なのです。