「前世」(著者 浅野 信)より引用
遺伝の法則と転生との関係(矛盾はない)
<遺伝は現象レベル>
肉体的な遺伝の法則によって、親子や兄弟姉妹など、身内は相(あい)似通っています。けれども、遺伝の法則が働いているのは現象レベル止まりです。それしか教えられていない現代の人たちは、何か自分にとって不都合があったり、嫌なことは、「親がこういう人だったから自分もこうなった」と、親のせいにしてしまうことがありますが、それは「縁」であり、「因」ではありません。縁とは、環境や条件など、間接的副次的な要因の一部に過ぎません。内なる因こそ真の原因であり、それは自分の前世の行いにあります。それがカルマであり自業自得といわれる所以です。
<前世を反映>
私たちは、決して両親のせいで今の自分になったのではありません。自分がそもそもそのようなものを持っていた、あるいは創り出したからこそ、それに見合うカップルを両親として、つまり「縁」としてそこに生まれ、自分が学ぶことを両親の中に見ながら、自分のカルマを自分が受け継いできているのです。
容姿容貌や体型、風貌なども偶然ではありません。同じ親の元で産まれてきた子供たちの間でも、まったく違う人が現れるのは、それぞれ前世のものが表れたと言えなくもありません。風貌などは、直前の前世と、今世に最も影響の強い前世のものを反映している場合が多いのです。
人は親に似ているというよりも、むしろ自分の前世に似ています。親や身内に似ているというのは表向きであり、現象レベルでの因果法則のつじつまを合わせているだけです。
<自分に合った親を選ぶ>
・・・遺伝の法則を形成している背後に働いている法則がカルマなのです。したがって、人は遺伝の法則によって親に似ているというよりもむしろ、もとのと似ているからその人を親として、その縁で生まれ変わってきたのです。親子だから似ているのでなく、逆に、似ていたから親子になっただけです。
だからといって、親を尊ばなくていいという意味ではありません。むしろその尊いご縁を大切にすることで、親子となったカルマを互いに果たし合い、解消することとなり、解脱により真の自由が得られるようになります。
<遺伝子への魂の働きかけ>
。そこには必ず前世のカルマに応じた、互いの相似関係があるはずです。
。したがって、遺伝の法則と転生説との間に矛盾はありません。このプロセスが絶妙だからこそ、表向きの物理レベルで作用している遺伝の法則がすべてであると疑われず、それ以上のものがあることに、人の考えが及びにくくなってしまいます。