願兼於業   大白蓮華2004-11号より転載

「願(がん)、業(ごう)を兼(か)ぬ」と読み下す。菩薩が、本来は仏道修行の清浄な果報を受けるはずであるのに、衆生を救うためにあえてそれを捨てて、誓願を立てて悪世に生まれるが、業によって悪世に生まれた人々と同じ苦悩を受けながら、妙法を弘通すること。妙楽大師の「法華文句記」で法師品の文を注釈した言葉


<御書>
経文に我が身・普合せり御勘気をかほれば・いよいよ悦びをますべし、例せば小乗の菩薩の未断惑なるが願兼於業と申して・つくりたくなき罪なれども父母等の地獄に堕ちて大苦を・うくるを見てかたのごとく其の業を造って願って地獄に堕ちて苦(くるしむ)に同じ苦に代われるを悦びとするがごとし、此も又かくのごとし当時の責はたうべくも・なれども未来の悪道を脱すらんと・をもえば悦びなり(P.203)

<通解>
経文の予言に、わが身が全く合致している。故に、難を被れば、いよいよ喜びを増すのである。例えば、小乗経の菩薩でまだ三惑を断じ尽くしていない者が、「願兼於業」といって、つくりたくない罪ではあるけれども、父母などが地獄に堕ちて大苦を受けているのを見て、型を取るように同じ業をつくり、自ら願って地獄に堕ちて苦しみ、そして父母たちの苦しみに代われることを喜びとするようなものである。日蓮もまたこの通りである。現在受けている迫害は耐えることができないほどであるが、未来に悪道から脱すると思うと喜びである。

<宿命を使命に変える生き方>
願兼於業とは、仏法における宿命転換論の結論です。端的に言えば、「宿命を使命に変える」生き方です。
人生に起きたことには必ず意味がある。また、意味を見いだし、見つけていく。それが仏法者の生き方です。意味のないことはありません。どんな宿命も、必ず、深い意味があります。
それは、単なる心の在り方という次元ではない。一念の変革から世界の変革が始まる。これは仏法の方程式です。宿命をも使命と変えていく強き一念は、現実の世界を大きく転換していくのです。その一念の変革によって、いかなる苦難も自身の生命を鍛え、作り上げていく悦びの源泉と変わっていく。悲哀をも創造の源泉としゆくところに、仏法者の生き方があるのです。
その真髄の生き方を身をもって教えられているのが日蓮大聖人の「法華経の行者」としての振る舞いにほかならない。
「戦う心」が即「幸福への直道です。
戦う中で、初めて生命は鍛えられ、真の創造的生命が築かれていきます。