大白蓮華 2007.7より転載

仏法では、一個の生命が現実のさまざまな現象とつながっていると説いている。
天台大師は、現象世界の姿を三千の数に整理して「一念三千」と説いた。
あらゆる現象は自分の一念に収まっているし、その逆に、自分の一念はあらゆる現象に影響を及ぼしていく。・・・・
本当に自分の祈りが通じるためには、外の世界を揺り動かすことができる大きな祈りのエネルギーを「一念」のなかに涌現させる必要がある。
仏法では、自分と外の世界とは、一歩深く掘り下げると、連なっており、そこには”不二”の世界が広がっていると説いている。この自分と外の世界とが奥底で通じている”不二の世界”を日蓮大聖人は南無妙法蓮華経と顕わされた。
この南無妙法蓮華経を唱えることで、自分の一念の心が全宇宙と連動しているので、自分が「ああしたい」「こうなりたい」という強い一念をもって真剣に唱題するとき、一切の現象を揺り動かしていくことができる。

十界・三千における依報(環境)も正報(衆生の生命)も、色法も心法も、非情の草木も、また大空も国土も、どれ一つとして除かず、微塵も残さず、すべてを自分の一念の心に収め入れ、また、この一念の心が宇宙のすみずみにまで行きわたっていくのである(御書P.383趣意)

このこと(=仏法の一切がわが己心にあると捉えていくべきこと)から浄名経の中では、「諸仏の悟りは衆生の心の働きに求めるべきである。衆生を離れて菩提はなく、生死の苦しみを離れて涅槃はない」と明かしている。
また、浄名経には「人々の心がけがれれば、その人々が住む国土もけがれ、人々の心が清ければ国土も清い」とある。すなわち、浄土といっても、穢土(えど)といっても、二つの別々の国土があるわけではなく、ただそこに住む私たちの心の善悪によって違いが現れると説かれているのである(御書P.384趣意)

「逃げても何も変わらないわよ。環境は自分自身の生命を映し出す”鏡”なんだから」
「いかに環境が厳しくとも、断じてくじけるな!心が負けなければ、必ず希望はある。必ず道は開ける」・・・聖教新聞2007.6.24より