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ベトナム戦争とは

 ベトナムが共産主義化すれば、アジア諸国がドミノ倒しのように共産主義化するという論理(ドミノ 理論)に基づいて、アメリカは1964年8月のトンキン湾事件をきっかけとして翌1965年2月に北 ベトナム爆撃(北爆)を開始し、3月には沖縄の海兵隊など米兵3500人を南ベトナムのダナンに上陸 させ、ベトナム戦争に介入していきました。
 以後戦争は拡大し、アメリカは延べ260万人の兵士を派遣、5万8千人が戦死、30万人以上が負 傷しました。ベトナムでは335万人が戦死、サイゴン政府軍22万人、民族解放軍約110万人、民間人 約200万人が死亡、その半数は子どもだったといわれています。
 日本も派兵こそしませんでしたが、沖縄や厚木などのアメリカ軍基地がベトナムを攻撃をする拠 点の役割を果たしたことも見過ごすことはできません。
アメリカは1500億ドルの戦費とピークには年間54万人を派兵するなど、軍事的に全力を投入しま した。
 しかし、1968年2月のテト攻勢が大きく影響して、アメリカは1968年10 月に北爆を全面停止せざるを得なくなり、アメリカ・ベトナム共和国・ベトナム民主共和国・南ベトナム共和国臨時革命政府の4者会談を提案しました。
 1969年1月から新提案に基づく4者会談が開始され、1969年6月10日に南ベトナム臨時革命政府を 樹立しました。
 1973年1月27日のベトナムパリ和平協定にみられるように、アメリカのベトナム戦争での敗北は確定的となり、アメリカ 軍はベトナムの地から撤退せざるをえませんでした。
  結果として戦争は1975年4月30日に解放戦線 軍がサイゴン(現ホーチミン市)の南ベトナム大統領府に突入するまで続きました。
 この戦争の犠牲は大きく、アメリカ軍が1961年から1972年にかけて8千万リットルともいわれる大量の 枯れ葉剤(ダイオキシン)を散布し、深刻な被害が今も続いています。
 戦後ベトナムでは無脳症や口蓋裂、「ベトちゃん・ドクちゃん」の様な結合性双生児と呼ばれる胎児の 出産率が高くなりました。要因については、枯葉剤の中にまれるダイオキシンであるといわれていま す。大量に散布された地域の方が散布されていない地域よりも乳幼児死亡率、流産率、奇形児出産率が 高く、枯葉剤以外にその要因が見つかりません。

 

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