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2008年7月

カンボジア・ベトナム訪問団報告

1.日程 2000年7月10日(木)〜15日(火)

2.内容 カンボジアの子どもたちに文房具・衣類等、ベトナム枯れ葉剤被害者支援基金の贈呈

事前準備
  昨年9月の理事会で「マラソンランナーであった有森裕子さんが1996年よりカンボジアの対人地雷被災者救済のため、作ったチャリティー国際認定レースの『アンコールワット国際ハーフマラソン』に毎年参加し、圧倒的に不足している衣類・文房具などをカンボジアの子どもたちに寄贈しており。本年もハーフマラソンに参加し子どもたちに物資を寄贈する団体会員にNPO MOAも活動に協力する。」ことを決定しました。
  11月に入ってから、コクヨS&T株式会社からノート4500冊とフーセンウサギ労組からは、ベビー服150着を提供して頂くことが出来ました。
  しかし、この量はハーフマラソン参加者が手荷物として、カンボジアまで運ぶには到底無理であり、12月2日のハーフマラソンの参加者には、NPO MOAで集めたボールペンなど段ボール箱3箱分をカンボジアの子どもたちに持って行っていただきました。
  ノートとベビー服については、海上輸送でカンボジアに届けようと年明けから輸送の準備がはじまりました。海上輸送をするのだから、鉛筆やボールペンなどを各方面から協力を仰ぐことにしました。三菱鉛筆株式会社・株式会社パイロットコーポレーションからも
鉛筆1440本とボールペン1400本の提供を頂くことが出来ました。

 2月下旬にカンボジア名誉領事館を訪問し、5月に輸送業者の”K”LINE LOGISTICS(ケーラインロジスティクス)に協力をお願いしました。名誉領事館には、カンボジアでの物資受入人の紹介や免税の手続きなど、”K”LINE LOGISTICSには、具体的な輸送の手続きなどご協力を頂くことができました。ご協力を頂きました皆様方に心からお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
当初3月頃に贈呈を考えていましたが、何とか7月上旬に物資を運搬することができ、カンボジアの子どもたちへの物資支援とともに、ベトナムのツーヅー病院を訪問し枯れ葉剤被害者支援をする「カンボジア・ベトナム訪問団」として事業を実施してきました。

カンボジアベトナム訪問団−−−カンボジア
  カンボジア・ベトナム訪問団は7月10日(木)から15日(月)までの日程で、カンボジアシェムリアップ郊外の3つの小学校と1つの診療所を訪れて文房具などを寄贈した後、ベトナムのホーチミン市ツーヅー病院とベトナム赤十字社ホーチミン市支部を訪問して枯れ葉剤被害者支援事業として支援金を贈ってきました。
  7月10日に加来洋八郎代表理事と奥野理事を共同代表に9名が関西空港を出発、ホーチミン経由でカンボジア・シェムリアップ空港に到着しました。
  入国手続きを経て、宿泊ホテルのシティアンコールワットへ向かい、今回物資受け入れの窓口になって頂いたシアン・ナム国会議員と懇談しました。
  カンボジアは7月27日投票日の国会議員選挙の真最中で、シアン・ナム議員も人民党から2期目の立候補をされていました。10日の夜に選挙の決起集会があるので、私たち訪問団にも集会の見学を促され、夕食後、集会に参加してきました。集会には約1万人が集い、音楽や様々なパフォーマンスが演じられ深夜まで盛り上がるとのことで、会場周辺には多くの屋台が出ており、人々が集まる1大フェスティバルの様でした。
  翌7月11日(金)は、シェムリアップ近郊の小学校を訪れ文具等を贈呈しました。訪問した小学校は、フン・センコムル小学校(児童1200人)、ダンムレイチャラン・高厳小学校(300人)、ジャンボーツアースピアントッチ小学校(200人)の3校で、児童1人1人にノートとボールペンを手渡しました。
  最初に訪問したフン・センコムル小学校では全児童が校門まで出て、拍手で迎えくれました。贈呈式が始まり、校長から「教育物資を贈呈・配布のため、時間をかけて日本から来られた日本代表団の皆様に暖かく歓迎します。この機会を利用して日本の皆様に深く感謝申し上げます。私達は学生達の代わりに教育物資を教育方向へ利用、学力向上を出来るよう約束いたします。」旨の謝辞が述べられました。
  加来代表理事が、贈呈の挨拶(別記)を行った後、約1200名の児童が物資を受け取るために整列を始め、受け取る子どもたちは合掌をして、深々とお礼をしながら大切そうにノートとボールペンを胸に抱いていました。昼食後は他の2校を訪問し、それぞれの子ども達の嬉しそうな笑顔に、団員は暑さも忘れ教室内を回って贈呈をしていました。
  小学校の子ども達への贈呈が終わると、日本のボランティア団体が寄贈した井戸をを見学するため、悪路を約20分寄贈目的の村に到着ました。
  井戸は、浅く掘ってすぐに水が出るところもあれば、場所によっては200メートルぐらい掘らなければ地下水が出ないところもあるといいます。その深く掘った井戸のポンプを見学(実際はポンプを見学)。深い井戸堀の費用は、1本200万円もかかることもあると聞きました。井戸水を見るとかなり濁っており、私達には到底飲むことは不可能と思いました。(無理に嚥下しても、まず、46時中トイレを占領することは避けられない、・・・という感じでした。)
  シェムリアップは、アンコールワットで有名な観光地域ですが、産業が発達しておらず経済的に恵まれていません。村民は溜め池の水や深さ5メートル程度の水を生活用水にしてきました。現在は水質・衛生面から現在深さ30メートルの基準で井戸掘りを行っています。1本200USD位から掘れるとのことです。
  翌日に、ガイドに濁った井戸水のことを問うと、現地の人は濁った水を煮沸することもなく、そのまま飲むとのこと。水に味があり居住地域の水が1番美味しくて、他のエリアの水は美味しくなく口に合わないという。私達がよく飲むペットボトルのミネラルウォーターに至っては「味がなく『あんな水っぽい』ものは飲んでも美味しくないので、シェムリアップの現地の人は飲まない」と教えてくれました。確かにミネラルウォーターは水っぽいですが・・・・!?。
  井戸掘りも今後重要な支援の課題であると認識させられました。
  井戸を見学後、ソトニカム診療所を訪れて、フーセンウサギ労組から協力を得たベビー服150着を贈呈し、出産も多くかなり役立つと診療所のドクターや看護師からお礼の言葉を頂きました。
  無事、公式行事が終了しホテルに戻り。シアン・ナム議員から夕食の招待を受けた、韓国式焼肉店に移動し議員・副知事と会食をすすめ、懇親を深めることができました。ナム議員は大の焼き肉好きで、日本にくるときは毎日のように焼き肉を食べても大丈夫であるが、寿司は苦手とのこと。来年4月に来阪予定があると聞きました。我々は、「それでは、西区の○○○○館にしよう。いや、港区の○○亭がよい。」とか、勝手に店を選んでいるうちに、お開きの時刻。大阪での再会を約し、別れを告げました。

カンボジアベトナム訪問団−−−ベトナム
  翌12日(土)はアンコールワットのサンライズ(日の出)ツァー、午前中がバイヨン寺院やタップローム遺跡・午後から再度アンコールワットの見学という行程を経て、夕方の便でベトナムホーチミン市に移動しました。
 ツーヅー病院平和村タン課長やグエン・ドクさんたちと、ホテルの中華レストランで親睦を深め、翌日の行動を確認して散会となった。
 7月13日(日)は、ホーチミン市の南東にあるカンゾー・ジャングルを見学。カンゾーはホーチミン市近郊の河口で、ベトナム戦争時は南ベトナム民族解放戦線の前線基地であったため、アメリカ軍に大量に枯れ葉剤を散布され、潮間帯の泥地に発達するマングローブは全て枯れましたが、戦後に植樹し新たにジャングル地帯となっています。
  ツーヅー病院のタン課長とドクさん夫妻とチャンさんの4名も同行し、戦争時の前線基地として使用していた様子を再現も見学、ベトナム戦争当時の困難な戦いの説明に耳を傾けました。聞くところによると、「解放戦線の兵士は、ほとんどが死亡した。それも戦闘で死亡したのではなく生息するワニに食べられたから」という作話も本当に思える地域でした。今では自然のワニはおらずに、養殖のワニが元気にいました。
  ホーチミンのの最終日14日(月)は、グエン・ドクさんの自宅を訪問し、昨年なくなったベトさんの仏壇に果物を供えて線香をあげ、ドクさん宅を見学しました。寝室には結婚写真がベッドの壁に4つ切り大で飾られていました。
  そしてベトさんの遺骨が安置されているお寺に案内され、遺骨の安置堂でベトさんの遺骨に線香をあげ冥福を祈った。ベトナムは、基本的に埋葬するようですが、ホーチミンなどの都会では火葬が増えてきています。火葬した遺骨はお寺などに安置するそうです。
  次ぎにツーヅー病院を訪問し、05年に来阪したチュイ副院長とも再会できました。NPO MOAからの枯れ葉剤被害者支援金と、昨年9月に東京で開催したダイオキシン国際市民フォーラムから預かったカンパを贈呈することができました。
  その後、枯れ葉剤で障害を受けた子供たちが生活する平和村の施設を見学しましたが、前回平和村を訪問した時(05年)には、ベッドに寝ていたベトさんが今回はいなかったのが寂しく感じました。
  ツーヅー病院で昼食では、ホビロン(アヒルの孵化寸前の加熱した卵)が出され、美味しく食べた人、涙を目に浮かべてこらえて食べた人、チャレンジするも挫折した人、全く口にもできない人、団員それぞれでありましたが、確実に土産話になったはずです。
  午後に、ベトナム赤十字社ホーチミン市支部を訪問してフエ委員長と再会した。平和村タン課長のお母さんとベトナム戦争時に政治犯として共に勾留を受けた戦士の女性3人と懇談。いずれも60代を超えているが、10代から民族解放戦線の運動に参加したため、当局に逮捕・監禁され「トラの檻」とも言われたコンダオ島の刑務所に長期の拘留の経験のある方々である。刑務所では食事もロクに与えられず、口には言えない地獄のような苦労があったと話を伺いました。後でガイド が、「コンダオ島に収容されていた政治犯は、筋金入りの人ばかりです」と言っていました。
  彼女たちをはじめ、多くの人々の粘り強い闘いでアメリカに勝利し、南北ベトナムの統一を勝ち取ったことの偉大さを実感しました。懇談の途中でタン課長の父上も出席。なんと!タン課長の父上は、反フランス植民地闘争から闘っていた戦士の中の戦士で、闘いの中でタンさんのお母さんと出会い、結婚したことを教えていただきました。
  夜の送別夕食会で、ドクさんから「10月4日(土)に『ベトちゃん・ドクちゃんの分離手術成功20周年を記念式典』を開催するので、是非ともNPO MOAも出席してほしい」と申し出があり、何とか参加する方向で調整すると約束して別れ、 深夜にタンソニャット空港を発ち、早朝関西空港に無事到着しました。
  今回のカンボジア・ベトナム訪問も数多くの皆さんの協力を得て、所期の目的は達することができました。カンボジア内戦後の後遺症は未だ残存しています。また、ベトナム戦争での枯れ葉剤の被害は、戦後30年以上過ぎた今でも各地で発生しています。カンボジア・ベトナムへの引き続く支援活動が求められていることを強く感じたカンボジア・ベトナム訪問団でした。

事務局 竹下 大

 

 

★ 資 料 等

7月10日(木)
VN941 関西空港11:00発⇒ホーチミン14:20着
VN823 ホーチミン15:30発⇒シェムリアップ16:50着 空港に「カンボジア旅社Mr.恩」が出迎え、車でCityAngkorHotel(約20分)へ。 *ホテルに到着区後、下院議員(ホテルオーナー)シアン・ナム(SeangNam)と以下の内容で懇談しました。

                       ナム氏と

・現在の勢力 : 下院議員定数127名 与党(人民党)73議席
・選 挙 制 度 : 比例代表制でシェムリアップ州は6議席(現在与党が5議席)
・野     党 : フンシンペック党(26議席)サム・レンシー党(24議席)
・連 合 政 権 : 憲法上2/3以上の議席が政権運営に必要であったが、改正を行い1/2とした。
・議 員 任 期 : 5年
・政     策 :外資を呼び込み経済発展(現在年10%前後の成長率)
・その他、観光・農業・漁業
*夕食後、車で与党が実施している集会へ

  
    


・約1万人近くが集まっており、決起集会とイベント(歌など)で大いに盛り上がっていました。(夜店も多数出店)
・我々一行が壇上で紹介され、奥野共同代表が激励の挨拶。

7月11日(金)
@ホテルから約1時間30分の「フン・センコムル小学校」(生徒数1222名) (シェムリアップ州チクレン郡カンポンクデイ地区)へ。贈呈のセレモニーを行う。

         セレモニー      寄贈
*セレモニーの後、校庭でノート・ボールペンを生徒に直接手渡す。   

A車で約30分の「ダムレイチャラン・高巌小学校」(生徒数335名) (シェムリアップ州チクレン郡ルセイローク地区)へ。
各教室で生徒にノート・ボールペンを生徒に直接手渡す。
B車で約30分の「ジャンボツアーズ沖縄ゆいまーる小学校(ジャンボーツアースピアントッチ小学校)へ。
(シェムリアップ州チクレン郡ルセイローク地区)
各教室でノート・ボールペン・タオルを生徒に直接手渡す。
(事前連絡が無かったので低学年生のみ)
Cシアン・ナム議員が取り組んで掘られた井戸がある集落へ。
井戸と組み上げ用モーターなどを見学。
Dソトニカム診療所(SotNikumReferralHospital)へベビー服を代表者に手渡す。
*夕食はシアン・ナム(SeangNam)議員・州副知事(38歳)とコリアンレストランで焼肉料理の招待を受ける。

7月12日(土
*アンコールワットへ早朝より「サンライズツアー」 (写真左下)
*終日アンコールワット&アンコールトムの見学  (写真右下)
*昼食はガイドの恩氏経営のホテルでご馳走になる。
*シェムリアップ17:20発⇒VN822〜ホーチミン18:40着
*LegendHotelSaigon内の中華レストランでTan課長・Ducさん夫妻と夕食
         

7月13日(日)
                  
カンゾーへ(車で片道約3時間、途中でフェリーに約15分乗船)
*ヴェトナム戦争中に、枯葉剤の影響でマングローブが枯れ、戦後植林などにより再生し、現在は、観光リゾート地となっている。(猿の放し飼い・ワニ園)
*戦争中は、ゲリラの拠点であった。マングローブ林の中にべトコンの基地や司令室が再現されている。
Tan課長・Duc夫妻・Trang看護師と一緒に。

  1. ホーチミンのインフレ率は約16%

  2. ガソリンは1g約92円で、年内は政府が値上げをしないと宣言。(しかし、帰国後の7月21日の新聞報道に約121円に引き上げと発表。 消費者物価指数の上昇率が26.8%

7月14日(月)
*Ducさん夫妻のお宅訪問(TuDu病院の近隣・3階建てのお洒落な家)
*ベトさんの遺骨が納められている寺院(臨済宗)で焼香
*TuDu病院で交流会 Tan課長・Le副課長・副院長・Trang看護師など
*NPO MOAからの支援金贈呈(10万円)
*10月4日(土)に統一会堂において分離手術20周年記念式典を実施。
手術に関わった人や支援者を招待する。
              
*昼食に「西村洋一」さん、NPOプラスワンの富山さん同席
元高校教師の西村さんは枯葉剤被害者の写真集を出版予定。
富山さんは月額200ドルで間借り(温水シャワーが条件)TuDu病院・平和村でボランティア活動を行っている。ダラットへ平和村の子ども達と行った話などを伺う。
食事にHotvitlonが出される。

*ヴェトナム赤十字ホーチミン支社を訪問
Hue支社長と昨年9月以来の再会。
    
NPO MOAからの支援金贈呈(5万円)      
赤十字活動の説明を受ける。
ホーチミン市内で25ヶ所の活動拠点
会員は25万人  献血は年間10万人以上
1.毎月の金銭援助
2.子ども・就学・職業訓練
3.治療費・リハビリ費の補助
4.援助金でビジネス支援(家畜を飼う)
5.家を建てる

上記の活動に年間30億ドンが必要。


Tan課長のお母さんのコンダオ島の収容所に収監された政治犯の方と以下の内容で懇談
○ミーさん(女性)
学生時代の19歳から反米運動を実施、1950年23歳に逮捕
1975年4月29日自ら脱出
米政府は政治犯を釈放し、我々は一般犯として扱われ釈放されなかった。
コンダオ島ではトラの檻に入れられた。夏は多くの人をいれ、暑くし、冬は人を少なくして寒くさせた。(200名〜500名)
消石灰をまかれたりした。
コンダオ島には催眠弾により意識を失わせ運ばれた。

○カムさん(女性)
2回コンダオ島に送られた。
ジャーナリストには収容所に外塀と内塀を作りごまかした。
政治犯は内塀の内側に隠した。
歌や詩を作り前向きに収容所生活を耐えた。
演劇なども行った。(内容は反米)
国民のために歌を歌っていた。「〜〜最後には勝つ」
愛国心が心の支えであった。

○Tan課長のお母さん
1954年南北分裂後に南に残り郵便局で働いた。
郵便局は解放戦線の連絡拠点であった。(局長も味方にした)
コンダオ島に薬などを郵便物として送った。(規定違反)
3回逮捕された。
パリ和平協定の時に政府は政治犯を否定したが、収容者リストを作り、パリに送った。(1974年)
当時のリーダー「ジャン・バータン」
北からは暗号を無線で指示を受けた。

○Tan課長のお父さん
南の歴史を書いている。
22歳で逮捕された。
1970年にグエン・バン・チュは土地の管理宣言をしたが、問題は土地ではなく、人民の心をどれだけ支配できるかである。 この場の通訳は、ミーさんの娘でチャンさん(日本の精華大学へ留学経験・現在は、シンガポール系の証券会社で勤務)

ホーチミン00:10発⇒VN940〜関西空港7:20着

理 事 岡地 

加来代表理事「「フン・センコムル小学校」でのあいさつ
 ただいまご紹介をいただきました特定非営利活動法人 南大阪とアジアの平和友好のかけ橋(略称NPO MOA)代表理事の加来洋八郎です。
 本日この様に贈呈式ご用意いただきました学校関係者の皆さん、私たちNPO MOAが行う「カンボジアの子どもたちへの物資支援事業」に格別のご理解とご協力をいただいたシアン・ナム国会議員をはじめとする関係者の皆さんに改めて感謝の意を表します。皆さんのご協力で本日この様に多くの子どもたちに直接手渡す形でNPO MOAがカンボジアの子どもたちへの物資支援事業を実施できますこと事を心から嬉しく思っています。
 フン・セコルム小学校生徒の皆さんおはようございます。皆さんの元気な顔を拝見できて大変嬉しいです。私たちは日本の大阪で様々な職場で働く労働者や議員および家族、また労働組合の役員などで構成するNPO MOAの訪問団です。今日は私たちNPO MOAの「カンボジアの子どもたちへの物資支援事業」への協力の呼びかけに応えていただいた日本の企業「コクヨ、パイロット、三菱鉛筆」から、さらにオールフーセンウサギ労組やNPO MOAの中核である南大阪平和人権連帯会議及びその構成労組や有志などから寄贈を受けた物を皆さん方にお届けするためにやってきました。皆さん方の健やかな顔を拝見しながら直接渡すことが出来ますことを何よりも喜んでいます。先生方もどうぞお受け取りください。
 私たちNPO MOAがこの支援事業を取り組むことになったきっかけは、日本では有森裕子さんが援助するアンコールワット国際マラソンに参加した全日建連帯労組の仲間がその折りに文房具やスリッパ、衣類を贈呈してきていきました。昨年はタレントの森脇健児さんが参加し贈呈しました。今回NPO MOAがこうした歴史を引き継ぎ「カンボジアの子どもたちへの物資支援事業」実施することを決め、呼びかけを行いましたところ、先述の関係者から寄贈が得られました。呼びかけに応えて寄贈をいただきました企業、労組、有志の皆さんに感謝しながら皆さん方にNPO MOAからの贈り物としてお渡しいたします。皆さん方の勉強の1助になることが寄贈いただいた関係者や運んできた私どもNPO MOAの喜びとするところです。皆さん方1人1人の健やかな成長と学力の向上、加えて夢多い皆さん方によって引き継がれていくカンボジアと日本の友好発展、ご参会の皆さんのご健勝を祈念しご挨拶といたします。

NPO MOA代表理事 加来洋八郎

 

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