「美のイデア」 Das Idea des Schönen









 

 この間、おじさまから哲学を教えていただいたときに「イデア」という言葉を 知りました。綴りからいっても英語の「アイディア」と同じ語源なんでしょうけど、 もっと深い、この世に存在するすべての物に臨在していて物事の性質を決定づける 根源なのだそうです。(自分でもよく分かってないな、ってこれ書いてて思います)  特におじさまが強調されていたのは「善のイデア」と「美のイデア」です。 神の似姿としての人間にとって、神からの恩寵「善」と「美」はやむにやまれず 感じなければならないものだって仰ってました。それを「美のイデアが喚起される」と 言っていましたけど、哲学の用語集を見ても載ってないんですよね。プラトンの本も 読んでみたのに無いし、(「想起」ならあるんですけど)私の調べ方が悪いのかな。 もうちょっと読んでみよーっと。  おじさまがたとえ話で教えて下さったのは 「例えば、野の花を見ても、雄大な風景の中から上ってくる太陽を見ても、典雅な 室内管弦楽を聴いても、綺麗な女性を見ても、みなそれぞれに『美しい』と感じるのは 『美のイデアが喚起』されているからだ。姿形は皆違うけれどもそこには「美のイデア」 が臨在していて、我々の心の中の同じ部分が掻き立てられた時『美しい』と感じるのだ」  私は今まで、綺麗なお洋服を着たり、髪の毛を整えたり、お化粧することで「綺麗になる」 って思ってました。でもそれってほんの上っ面のことに過ぎなかったんですね。  だって桜の花にしても雪原に舞う丹頂にしても由比ヶ浜から仰ぐ富士山にしても、みんな 「美しくなろう」と思っているわけじゃないですもんね。(「綺麗な女性」っていうのは ちょっと違うと思います!(-_-メ) 私だって上手にお化粧出来れば・・・)  でも「性格美人」ってよく言いますよね、内面がいい人のこと。じゃあお顔は、っていう と難しいんですね。「内側から綺麗になろう!」というのもよく聞きますけど、それで美人に なったって話もまずないです。  心の中にあって綺麗になるための根源が「美のイデア」だとしたら、「内面から綺麗になる」 ことで美しくなれるはず。それじゃあ心が綺麗な人はおのずから綺麗になれるの?だったら マザー・テレサは超美人?なんだか私の考えてること、根本から間違ってるのかなぁ。  綺麗になりたいなぁ。