ハンドルネーム「デカルト」について









 

 私は大学で哲学を学んだが、デカルトについて語るほど詳しくはない。 一時期彼の著書を読んだものの、傾倒するまでには至らなかった。  ハンドルネームとして彼の名を借りることにしたのは、彼にまつわる伝説に よっている。賢明な読者の方なら、もうピンときただろう。    デカルトには愛すべき娘がいたが、不幸にも幼くして亡くなってしまった。 彼はそれを悲しみ、娘に似た一体の少女人形を作らせ「我が娘フランシーヌ」と 名づけどこに行くにも一緒だった・・・  この話は、渋澤龍彦の「少女コレクション序説」によって広く人口に 膾炙しているものであり、同好の諸士にとってはあえて強調するまでの ことでもあるまい。  人形愛者としてその名を連ねるデカルトにあやかろうとするのは、ただ人形に 対する思いのみに惑溺することなく、一人の Denker として曇りなきまなこで 自分と「彼女」との心の遍歴を見つめていきたいと願うからに他ならない。