トルコ風ロンド(W.A.Mozart)









 
 五味康祐の「音楽巡礼」を読みました。いろんな作曲家のエピソードと五味さん自身の 生き様が、モザイクみたいに書かれていて興味深く読めました。
 「モーツァルトの≪顔≫」という章で、あの有名な「トルコ行進曲」について書かれていました。 私もこの曲は小学校の時、給食の時間の終わりに校内放送で流されていたのでよく知っています。 ピアノを習っている子なら誰でも弾ける、割合簡単な曲、くらいの認識でした。
 でも・・・、モーツァルトがこの曲を書いたのは、お母さんが亡くなった直後だったんだそうです。 五味さんは「・・・あらためて聴き直して涙がこぼれた。・・・モーツァルトは二百年後の今だって そういう裏切られ方をしている音楽家だ」  と、書かれています。  私も、モーツァルトといえば、幸せとはこういうものだ、と音を紡いでいった作曲家、くらいに しか思っていませんでした。  小学校の時、何の気なしに聴き流していたあの曲を、頭の中で反芻してみました。そしておじさまの コレクションに、たしか K331 があったはず、と思って探してみたら、ありました。  少しドキドキしながら、デッキに入れます。  聞き慣れたピアノの音色が流れ始めます。あの頃は急いで食べなきゃ、って思わされるこの曲を ちょっとウザく思ったりもしていました。でも今は、真剣にモーツァルトと向き合おうとしています。  おじさまが常々言われている「なんでもいい、聴いているときの心に浮かんだ情景をなすがままに 膨らましていきなさい。イメージ力を存分に働かせなさい」という教えのまま、この曲の流れに乗って 思い描いていきます。  ああ、私の想像力はまだまだ乏しいのかな、と思ったその時、フィナーレの、左手が和音を連打する あの箇所にさしかかったとき、愛しい母の亡骸にすがって慟哭する彼の姿が、はっきりと私の脳裏を よぎったのです。先入観なのかも知れませんが、このイメージが鮮やかに見えたとき、私の頬に涙が 伝っていくのを感じました。そして私の母の姿も・・・。  お母さん・・・。あの日突然に亡くなってしまった、私のお母さん・・・。あの日から私は、一人 ぼっちになってしまいました。でも、今やっと、安心して過ごせる場所を見つけました。  もしかしたら私は、おじさまの本当の娘になろうとしているのかも知れません。お母さんを忘れる ことは決してないでしょうけれど、おじさまがこんなに大事にして下さるのだから、お母さんだって きっと安心だよね。      だから・・・、私泣きません。泣いて目が腫れちゃったら、おじさまに余計な心配をかけるから・・・。